聖書信仰の見張り人たち

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携挙Q&A:1コリント15:52の「最後のラッパ」について

2021.10.15 携挙 

この記事では、患難期前携挙説が間違っていることの根拠としてよく引用される1コリント15:52の「最後のラッパ」について解説します。

質問

1コリント15:51~52では、携挙が起こる時には「最後のラッパ」が鳴ると言われています。

51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 (新共同訳)

一方で、黙示録には患難期に起こる「7つのラッパのさばき」が預言されています(黙示録8:6)。もし患難期前携挙説の言うように、患難期の前に携挙があるとすれば、携挙の「最後のラッパ」の後に7つのラッパが続くことになり、おかしなことになります。

そのように考えると、1コリント15:52の「最後のラッパ」は、ラッパのさばきの第7のラッパのことを指しており、携挙は患難期に入ってから起こると考えるのが正しいということにならないでしょうか。

回答

1コリント15:52で書かれている「最後のラッパ」は、黙示録に書かれている「第7のラッパ」ではありません。それにはいくつかの根拠があります。

(1)コリント人への手紙第一とヨハネの黙示録が書かれた年代

パウロがコリント人への手紙第一を書いた時点では、ヨハネの黙示録はまだ存在していません。『Ryrie Study Bible』によると、パウロがコリント人への手紙第一を書いたのは紀元55年頃で、ヨハネが黙示録を書いた紀元90年代よりも30年以上前のことです1。そのため、パウロは黙示録の「第7のラッパ」のことは知らなかったはずです。そのため、パウロが言及した「最後のラッパ」は、黙示録の「第7のラッパ」ではありません。

MEMO

ちなみに、パウロは紀元67年頃に殉教したと言われていますので1、黙示録が書かれる前にこの世を去っていたはずです。

(2)パウロには「ラッパのさばき」は啓示されていない

ある人は、パウロは使徒であり、第三の天に上げられたこともあるので(2コリント12:2)、黙示録を読まなくても、ラッパのさばきの啓示を神から直接受け取っていたのではないかと思われるかもしれません。しかし、これもありえません。

黙示録の中で、使徒ヨハネは紀元90年代に啓示を受け取った時のことを次のように記しています(黙示録5:1~4)。

1  また私は、御座に着いておられる方の右の手に巻物を見た。それは内側にも外側にも字が書かれていて、七つの封印で封じられていた。  2  また私は、一人の強い御使いが「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げているのを見た。  3  しかし、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はいなかった。  4  私は激しく泣いた。その巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったからである。 

以上のように記した後で、ほふられた小羊である主イエスが巻物を受け取り、はじめて封印を解くという展開になっています(黙示録5:5~6:1)。

ここで重要な点は、イエスが封印を解くまで、使徒であるヨハネも、長老も、御使いも、誰もこの巻物を読むことができなかった、ということです。「ラッパのさばき」は、この巻物に記されていて、第7の封印が解かれてはじめて啓示されたものなので、それまでは誰にも啓示されていません。つまり、ラッパのさばきのことは、パウロも知らなかったということになります。

(3)第7のラッパが鳴った時には、教会はすでに携挙されている

もう一つ重要なポイントは、第7のラッパが吹かれた時の描写です。黙示録11:15~19に記されている第7のラッパのさばきで起こっているのは、信者の携挙ではなく、地上のさばきです。

また、ここで天にいる二十四人の長老が出てきますが、これは黙示録4:4で登場した二十四人の長老のことであることは明らかです。黙示録4:4は患難期が始まる前の描写ですので、この二十四人の長老は患難期前から天にいることになります。この長老が教会の象徴であるとすれば、患難期前に携挙されて天にいる教会時代の聖徒ということになります(詳しくは「患難期前携挙説の根拠(2)大患難時代に教会が一切登場しない」を参照)。

パウロが言う「最後のラッパ」とは何か

これまでに、パウロが言及している「最後のラッパ」は黙示録の「第7のラッパ」ではないことを見てきました。それでは、パウロが言う「最後のラッパ」とは何を指しているのでしょうか。1コリント15:52のギリシャ語では、「最後のラッパ」に定冠詞がついています(「the last trumpet」)。ということは、パウロとコリント人のクリスチャンの間に共通認識があって、コリント人が「あのことを言っているのだな」とわかるものを指しているということです。

この最後のラッパは何かについて、アーノルド・フルクテンバウム博士は次のように解説しています。

最後のラッパは「ラッパの祭り」を指しています。ユダヤ人は、毎年この祭りでラッパを吹き鳴らす習慣があります。この儀式では、短いラッパを連続して吹いて、最後に長いラッパを1回吹き鳴らします。これを「テキア・ゲドラ」(大ラッパ)と呼びます。これがパウロの言う「最後のラッパ」です。そのため、この箇所は携挙の時期について何も言っていません。ただ単に、いつであっても携挙が来たら、ラッパの祭りが成就すると言っているだけです。2

【原文を読む】

The last trump refers to the Feast of Trumpets and the Jewish practice of blowing trumpets at this feast each year. During the ceremony there are a series of short trumpet sounds concluding with one long trumpet blast which is called the tekiah gedolah, the great trumpet blast. This is what Paul means by the last trump. As such, it says nothing concerning the timing of the Rapture; only that the Rapture, whenever it comes, will fulfill the Feast of Trumpets.

使徒15:21では「モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれているからです」と言われており、コリントのクリスチャンはユダヤ人のラビであるパウロから聖書を教えられていたことを考えると、ラッパの祭りについてもよく知っていたはずです。

MEMO

過越の祭が罪を贖ういけにえとしてイエスがほふられることを予表していたのと同様に、ラッパの祭りは携挙を予表しています。このラッパの祭りは、大患難時代の予表である「贖罪の日」の前に来ます。ここでも、携挙が起こるのが大患難の前であることがわかります。この点を説明し出すと長くなりますので、詳しくは「2001年フルクテンバウムセミナー『イスラエルの祭りに隠されたイエス・キリスト』」をお聞きください。

結論

1コリント15:52の「最後のラッパ」は、黙示録で預言されている「第7のラッパ」のことではありません。そのため、1コリント15:52の「最後のラッパ」の記述をもって患難期前携挙説を否定するのは適切ではありません。

この記事を書いた人:佐野剛史

参考文献

  • Arnold G. Fruchtenbaum, The Footsteps of the Messiah (Ariel Ministries, 2003)

  1. Charles Caldwell Ryrie, Ryrie Study Bible (New America Standard Bible) (Moody Publishers, 2012)

  2. Arnold G. Fruchtenbaum, The Footsteps of the Messiah (Ariel Ministries, 2003), p. 147


“携挙Q&A:1コリント15:52の「最後のラッパ」について” への1件のコメント

  1. 森田茂樹 より:

    分かり易い解説に感謝します。

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