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患難期前携挙説の根拠(7)反キリストの登場を「引き止めているもの」

2021.10.14 携挙 

MEMO

この記事は、患難期前携挙説の根拠を解説するシリーズの第7回目で、今回で最終回となります。この記事で使われている携挙、患難期前携挙説などの用語の意味については、Q&A記事「携挙とは何ですか?」をご覧ください。

反キリストの登場を止めている「引き止めているもの」

聖書が患難期前携挙説を教えていることを示す7つ目の根拠は、2テサロニケ2:6~7の「引き止めているもの」という言葉にあります。

6  不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。  7  不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。 

ここで「不法の者」とは反キリストのことです。つまり、反キリストの登場を「引き止めているもの」があり、それがいつか取り除かれるときが来る、というのがこの箇所の意味です。この箇所の意味を正しく解釈することで、携挙のタイミングについても理解することができます。

まずは、この「引き止めているもの」とは何かを知ることから始めましょう。

「引き止めているもの」とは何か

「引き止めているもの」が具体的に何を意味しているかについて、いくつか説がありますが、この記事では有力な2つの説を取り上げて解説していきます。

人間の政府説

一つ目の有力な説は、「引き止めているもの」とは「人間の政府」を意味しているというものです。その根拠としては、以下が挙げられます。

根拠1:悪が広がるのを引き止めるのは人間の政府の役割である(ローマ13:1~7、創世記9:5)。

たとえば、ローマ13:3~4では次のように言われています。

3  支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐ろしいと思いたくなければ、善を行いなさい。そうすれば、権威から称賛されます。 4  彼はあなたに益を与えるための、神のしもべなのです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。 

国中に悪が広がることを防ぐ政府(支配者)の働きによって、反キリストという悪の登場が妨げられているというのが、この説の主張です。

根拠2:反キリストは、患難期前半の世界を統治する10か国の政府のうち3つを倒した後に、ユダヤ神殿で神性宣言をする。つまり、この3つの政府が、反キリストを引き止める働きをすることになる。これが反キリストを「引き止めているもの」である。

この主張を理解するには、2テサロニケ2:6~7を少しさかのぼって、2:3~4を見る必要があります。

3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。 4  不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。 

ここに出てくる「滅びの子」「不法の者」も、反キリストのことです。反キリストは、7年間の患難期の中間期に神の宮(エルサレムのユダヤ神殿)で自分こそ神であると宣言します(ダニエル9:27)。それが起こるのが3つの国を倒してからのことなので(ダニエル7:23)、引き止めるものは政府であるという主張になります。

「人間の政府説」の問題点

この説の問題点を以下に挙げます。

  1. 患難期にはすでに悪がはびこっているので、この場合、政府は悪を引き止める役割を果たしていません。
  2. 3つの政府が倒れても、残りの7つの政府が残っています。反キリストの支配下に置かれるとは言え、政府であることには変わりはありません。そのため、政府が反キリストを引き止めているという主張は正しくありません。
  3. 人間の政府説では、反キリストが「現れる」の意味を「神殿で神性宣言をすること」と解釈しています。しかし、2テサロニケ2:3では「不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない」と言われています。裏返して言うと、主の日(大患難時代)が始まっているということは、反キリストがすでに「現れている」ということになります。反キリストが神性宣言を行うのは患難期中期で、患難期が始まってすでに3年半が経過しています。この点で、人間の政府説は2テサロニケ2:3の記述と矛盾します。
  4. 「引き止めるもの」は、6節では中性形になっているが、7節では男性形になっています(新改訳2017では、6節は「引き止めるもの」、7節は「引き止める者」と訳し分けられている)。この中性形から男性形への切り替えが、「人間の政府」説ではうまく説明できません。

MEMO

英語訳でも「引き止めるもの」は6節と7節で訳し分けられています。

6 And now you know what is holding him back, so that he may be revealed at the proper time. 7 For the secret power of lawlessness is already at work; but the one who now holds it back will continue to do so till he is taken out of the way. (NIV)

6節では「引き止めるもの」に対して「what」が使われている一方で、7節では「who」が使われていて、前者はギリシャ語の中性形、後者は男性形を反映しています。

聖霊説

2テサロニケ2:6~7の「引き止めるもの」は聖霊であるという解釈です。この説の根拠は主に3つあります。

一つ目の理由は、聖霊が全能者であることです(使徒5:3~4)。反キリストは「サタンの働きによって到来」すると言われています(2テサロニケ2:9)。サタンの働きを抑えるには、それ以上の力を持っている必要があります。「引き止める者」は大天使ミカエルであるという説もありますが、この点で問題があります(ユダ9参照)。

二つ目の理由は、先ほど「人間の政府説」で挙げた「6節では中性形になっているが、7節では男性形になっている」という問題が、聖霊では解決されることです。

「霊」は、ギリシャ語では「プニューマ」と言い、中性名詞です。一方で、聖霊を表す場合に男性名詞が使われることがよくあります。たとえば、ヨハネ15:26では次のように言われています。

わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。

この「助け主」というのは、ギリシャ語の「パラクレートス」で、男性名詞です。次の「御霊」はギリシャ語の「プニューマ」で、中性名詞です。聖霊は中性形でも男性形でも表現されているという点で、2テサロニケ2:6~7の「引き止めているもの(者)」とぴったり一致します。

三つ目の理由は、地上に悪がはびこることを押しとどめるのは本来的には聖霊の働きであるという点です(ヨハネ16:7~11)。また、クリスチャンは「地の塩」「世の光」であると言われているように(マタイ5:13、14)、聖霊はクリスチャンに内住し(ローマ8:9)、クリスチャンを通しても、この働きを遂行しています。

「聖霊説」は患難前携挙説と一致する

2テサロニケ2:6~7の「引き止めているもの」が聖霊だとすると、どうなるでしょうか。「引き止めているもの」は「取り除かれる」と言われていますが、聖霊は遍在なので、地上から完全にいなくなることはありません(詩篇139:7~10)。しかし、クリスチャンに内住する聖霊は、クリスチャンが地上からいなくなると「取り除かれる」と言うことができます。聖霊は、クリスチャンといつまでも共にいると約束されています(ヨハネ14:16)。そのため、クリスチャンが携挙で地上を上げられるときには、聖霊が地上から取り除かれると言うことができます。

2テサロニケ2:6~7では、反キリスト(不法の者)は「引き止めているもの」が取り除かれた後に登場すると言われています。大患難時代は、反キリストがイスラエルと7年間の契約を結んだ時に始まります(ダニエル9:27)。そのため、この箇所は携挙は大患難時代の前に起こると言っていることになり、患難期前携挙説と一致します。

また、2テサロニケ2章は「私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします」(2:1)という書き出しで始まっており、パウロは携挙をテーマとしてこの箇所を書いています。そのため、「引き止めているもの」についても、携挙という文脈で語っていると考えるのが自然です。

結論

聖霊は、携挙をもって、地上で反キリストの登場を「引き止めているもの」としての役割を終了することになります。その後、反キリストが登場し、大患難時代に入ります。そのため、2テサロニケ2:6~7の「引き止めているもの」が聖霊であるという前提に立つと、患難期前携挙説が正しいと言うことになります。

シリーズ全体のまとめ

以上で、患難期前携挙説の根拠を7回の記事に分けて説明してきました。まとめると次のようになります。

  1. 聖書は再臨(地上再臨)と携挙を別の出来事として語っている
  2. 黙示録の大患難時代の記述に教会がまったく出てこない
  3. 大患難時代の中心は教会ではなくイスラエルである
  4. 教会は神の怒りから救われると約束されている
  5. 携挙はいつでも起こる可能性がある(Imminency)
  6. 携挙は信者の励ましとなると言われている
  7. 反キリストの登場を「引き止める者」は聖霊であり、地上から聖霊が取り去られるということは、クリスチャンも取り去られることになる

以上を踏まえて、患難期前携挙説が正しいとすると、終末時代に生きる私たちクリスチャンは、どのように生きることが期待されているでしょうか。

患難期前携挙説は、現実逃避であると言われることがあります。いつか携挙が来て、キリストが地上の苦しみから救い出してくれると信じているので、目の前にある地上での課題に取り組まずに、携挙という空想に逃避しているという批判です。

しかし、今回の「引き止める者」の解説でも触れたように、クリスチャンは地の塩、世の光です。真の信仰者であるクリスチャンがいることで、この世の腐敗が防がれていると聖書は語っています。これは歴史的な出来事を見てもわかることで、たとえば英国ではウィルバーフォース、米国ではリンカーンという熱心なクリスチャンの働きによって奴隷解放が実現しました。また、第二次世界大戦中に、コリー・テン・ブームなどのクリスチャンがナチスに追われるユダヤ人をかくまって命を救いました。そのような働きをしたのはクリスチャンだけではありませんが、クリスチャンの働きが地上からすべて失われると、地上に暗黒時代が訪れることは想像に難くありません。そのため、クリスチャンには、地の塩、世の光としての働きが携挙の時まで与えられています。

また、携挙がいつ来るかわからないということは、日々みずからを吟味する必要に迫られるということです。携挙の主要聖句である1テサロニケ4:13~17は、聖化という文脈の中で語られています(1テサロニケ4:1~12、5:23)。次のマタイ24:44~51も、患難期前携挙説と一致しており、主がいつ戻ってきても良いように日々を生きることを教えています。

44  ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。 45  ですから、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。  46  主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。 47  まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。  48  しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、  49  仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、 50  そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、  51  彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。 

この記事を書いた人:佐野剛史

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