聖書信仰の見張り人たち

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ビル・ジョンソンとベテル教会(1)これがキリスト教の集会?

はじめに

ビル・ジョンソンは、新使徒運動(NAR)を代表する指導者の一人です。著書の邦訳も何冊か出版されており、2015年と2016年に来日したこともあって、日本でも一定の影響力があります。牧師を務める米国カリフォルニア州レディングにあるベテル教会には、1万1千人以上の教会員がおり、キリスト教界の音楽レーベルとしてよく知られているベテル・ミュージックとジーザス・カルチャーも展開しています。また、同教会には奇跡や預言を通して伝道する働き人を養成すると標榜ひょうぼうするベテル超自然ミニストリー学校(Bethel School of Supernatural Ministry)が併設されており、これまでに13,000人以上の卒業生を輩出しています。

このようにビル・ジョンソンとベテル教会はキリスト教界、特にカリスマ・ペンテコステ派の中で大きな影響力を持っていますが、そこで行われていることを見てみると、「これは本当にキリスト教か?」と首をかしげざるをえないようなことが数多く行われています。そこで、この記事では、ベテル教会の実態が垣間見える動画をいくつか紹介して、ご一緒に考えてみたいと思います。

「聖なる笑い」

ベテル教会では、集会中に「聖霊」によって信者が突然笑い出したり、床を転げ回ったり、泣きわめいたりする現象が見られます。この現象はベテル教会だけではなく、1994年に起きた「トロント・ブレッシング」に影響された教会でよく見られ、「聖なる笑い(Holy Laughter)」などと呼ばれてリバイバル(霊的復興)の現れとされています。ただ、筆者にはこれをリバイバルと呼ぶ感覚が理解できません。以下はそのような集会の様子を撮影した動画ですので、ご覧ください。

出典:Is Not Satire, “Bill Johnson Prays for Holy Spirit Outpouring: Convulsing, Cackling, Spasming, Twitching, Falling” (https://www.youtube.com/embed/hR4NqpX4vHs)

この集会で人々が笑い声や叫び声を上げ、体を痙攣させ、バタバタ倒れていく様子を見ると、ここで働いているのは聖霊ではないことがわかります。ガラテヤ5:22~23では、次のように言われているためです。

聖霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です

この集会に、筆者は上記のような聖霊の実を見ることができません。特に、突然笑い出したり、ひきつけを起こしたように痙攣したり、気を失ったように倒れたりする姿に自制の実を見ることはできません。

「ファイヤートンネル」

これはおそらくベテル教会が発祥ではないかと思うのですが、ベテル教会で行われている慣行の一つに「ファイヤートンネル(Fire Tunnel)」と呼ばれるものがあります。信者が2列に並び、その間を通る人に手を置いて祝福するというものです。ただ、ここでも、先ほどの動画に見られたような、突然叫び出す、足下に崩れ落ちる、体が激しく痙攣する、といった現象が見られます。

MEMO

あらかじめ音量を下げて動画を再生することをおすすめします。冒頭から叫び声が入ります。

出典:The Outlet Church, “Tunnel of fire at Bethel Church 01/20/2012” (https://www.youtube.com/embed/PqGLJ0b5lh4)

先ほどの動画の集会や、ここに映っている集会を見て思い出すのは、1コリント14:40の次のみことばです。

ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。

この集会に教会にふさわしい秩序があるようには見えません。

「栄光の雲」

この「栄光の雲(Glory Cloud)」と呼ばれる現象は、ベテル教会の礼拝中に金粉が舞うというもので、ベテル教会では神の臨在の現れであると教えられています。

MEMO

この現象についてはウィリアム・ウッド牧師の著書『日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ)の冒頭で取り上げられています。そのほかにも新使徒運動の教会で見られるさまざまな事例が取り上げられ、分析されていますので、関心のある方はお読みになることをおすすめします。

出典: Bethel, “Glory Cloud at Bethel Church” (https://www.youtube.com/embed/lvJMPccZR2Y)

この「神の臨在」とされる金粉が舞う様子を、集会に参加している人々がはしゃぎながら見たり、スマホで撮影したりしているのですが、これには違和感を感じます。使徒ヨハネは、パトモス島で主イエスを見た時に「死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ」(黙示録1:17)と言われています。聖書に登場する神の臨在に触れた人の反応と比較すると、何か違う、と感じざるをえません。

この現象で不思議なことは、ベテル教会では何度も目撃されているにもかかわらず、ビル・ジョンソンが招待されてメッセージを語る他団体主催の集会では報告されたことがないことです。また、福音派伝道者のジャスティン・ピーターズは、ビル・ジョンソンの友人が牧師を務めるフロリダの教会で、同じような金粉が舞う現象が報告されているが、その教会で働く女性が「通気システムに金粉の缶を置くことが自分の仕事だった」と告白しているという話をしています1

もしこれが超自然的な現象であったとしても、それが神の臨在であるとは限りません。集会中に金粉が現れるという話は(若い人は知らないかもしれませんが)スプーン曲げで有名なユリ・ゲラーの時にもありましたし、新興宗教でもよく聞く話ですので、なぜ創造主である神がそのような「超能力者」や団体の二番煎じをしないといけないのか理解に苦しみます。

「墓吸い」

ベテル教会で行われていたオカルトチックな行為に「墓吸い(Grave Sucking)」と呼ばれるものがあります。これは昔の有名な伝道者などの墓を訪れて、伝道者が持っていた「神の油注ぎ」を求めて墓に手をついて祈ったり墓の上に寝そべったりする行為です。次の動画には、ビル・ジョンソンの妻、ベニー・ジョンソンが、チャールズ・フィニーという有名な伝道者の墓に抱きついている写真などが出ています。

出典:Polite Leader, “Bethel Church and Bill Johnson Exposed” (https://www.youtube.com/watch?v=cIljz6-vP0Y&t=79s)

ビル・ジョンソンは「墓吸い」のことについて聞かれて、そのようなことはベテル教会の習慣ではないし、教えてもいないと語っていますが、ジョンソンの著作には、そのような行為の背景となる教えがあります。ジョンソンは著作『Physics of Heaven』(天の物理学)で次のように語っています。

油注ぎ、外套2、啓示、奥義の中には、その中を歩んだ世代が継承しなかったために、文字通り手つかずのまま放置されているものがあります。私たちは、何十年も手つかずだった油注ぎの領域、洞察力の領域、神の領域を、ただ取り戻すという選択をするだけで回復することが可能で、それを後世に継承していくことができると信じています。3

【原文を読む】

There are anointings, mantles, revelations and mysteries that have lain
unclaimed, literally where they were left, because the generation that
walked in them never passed them on. I believe it’s possible for us to
recover realms of anointing, realms of insight, realms of God that have
been untended for decades simply by choosing to reclaim them and
perpetuate them for future generations.

この「油注ぎを継承する」という点が理解できません。新生したクリスチャンはみな聖霊の油注ぎを受けているので、人から油注ぎを受け継ぐ必要はないはずです(1ヨハネ2:20)。

ヒンズー教の「クンダリニー」に酷似

先ほど紹介した動画では、突然笑い出したり、叫び出したり、暴れ出したりするベテル教会での集会の様子を見ました。この様子が、ヒンズー教の「クンダリニー(Kundalini)」と呼ばれるヨガの集会と酷似していることも指摘されています。次の動画をクリックすると、該当箇所から再生が始まります。

新使徒教会で行われる聖霊集会は、クンダリニ―の集会と多くの共通点があります。使徒・預言者/グル(導師)が手を置くと人が倒れる、体を痙攣させ、恍惚状態になる、突然笑い出す、叫び出すなどの現象が酷似しています。もちろんビル・ジョンソンら新使徒運動の指導者は表面上似ているだけだと主張しますが、このような現象は聖書には記されていない一方で、ヒンズー教のヨガと酷似しているのはどういうことでしょうか。よく新使徒運動の人々はイザヤ43:19などを引用して「主は新しいことを行う」と言いますが、すでにヒンズー教であったものとそっくり同じものを神が教会で行うとは思えません。

まとめ

ベテル教会で行われる集会の混乱した様子を見て思い出すのは、次の1コリント14:23のみことばです。

23 ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来たとき、あなたがたは気が変になっていると言われることにならないでしょうか。

この箇所は異言について語っているので状況が少し違いますが、言わんとしていることは同じです。教会の集会でいきなり笑い出したり、叫び出したり、体を激しく痙攣させたりしたら、未信者や初めて教会に来た人から狂っていると思われることにならないでしょうか。

以上のような「トロント・ブレッシング」をまねた「聖霊」集会が日本でも広がると、福音を伝えるための妨げになる可能性があります。そのような集会を見れば、ふつうの人なら「この人たちは気が変になっている」と思うでしょうし、聖書によると、そう思われても仕方ないのです。

この記事を書いた人:佐野剛史

参考資料

以下では本文中で紹介した動画や書籍以外の資料を挙げています。

  1. Reformed Orthodoxy, “Justin Peters on the gold dust was claimed to be the Presence of God” (https://www.youtube.com/watch?v=1_kw6OgQgtQ)
  2. この「外套」というのは預言者が着る象徴的な衣服で、預言者エリヤがエリシャを後継者とした時に、エリシャがエリヤの来ていた外套を受け継いだ、というような事例を念頭に置いていると思われます。
  3. Bill Johnson, Physics of Heaven (Davis, 2012)

写真:(c) Bethel Church