聖書信仰の見張り人たち

聖書信仰の見張り人たち

活動目的

ハーベスト・ウォッチは以下の目的のために活動しています。

  • 世界のキリスト教会、特に米国の教会の動向をウォッチし、世界のキリスト教会で語られている新しい教えや運動について報告する。
  • さまざまな新しい教えや運動を聖書に基づいて検証し、間違った教えや運動に対して警鐘を鳴らす。
  • 新しい教えを説く指導者の言動を検証し、間違ったことを教える指導者や教会を避けるように警戒を呼びかける。
  • キリスト教界で今起こっている運動や教えは過去にあったものの焼き直しであることが多い。過去の同様の運動がたどった歴史を紐解くことで、現在ある運動や教えの本質と今後の展望を考察する。

なぜハーベスト・ウォッチの活動を行うのか

キリスト教会内の教えに対して批判すると、「ささいな教理の違いに目を留めるのではなく、教会が一致して、教会外の人々への伝道のために一つになるべきだ」という声が聞こえてくることがあります。たしかに教会の一致は大切なことですが、このサイトで問題にしているのはささいな教理の違いではありません。ここでは、教会を内部から崩壊させる可能性のある教えを取り扱っています。そのことは、本サイトの記事を読み進めていただけると理解していただけるのではないかと思います。

信仰を守る戦いは初代教会から続いている

間違った教えとの戦いは、今に始まったことではありません。偽教師との戦いは、初代教会の使徒の時代から続いています。使徒ペテロは、2ペテロ2:1~3で次のように語っています。

1しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。2 また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。3 彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。…

ここでペテロが語っているように、初代教会の頃から、異端をひそかに持ち込む偽教師に対して警戒するように警告されています。また、使徒パウロは、ガラテヤ1:6~9で次のように語っています。

6 私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。 8 しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。9 私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、そのような者はのろわれるべきです。

最後にパウロは、キリストの福音を変えてしまおうとする者は「のろわれるべきです」と2度繰り返しています。それほどの強い非難に値する深刻な罪だということです。それは、福音を「ほかの福音」にすりかえることで、教会を内部から破壊し、教会を教会でなくしてしまうことが可能になるためです。

さらに、初代教会指導者のユダは、ユダ3~4で次のように語っています。

3 愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。 4 それは、ある者たちが忍び込んできたからです。彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定しているので、以下のようなさばきにあうと昔から記されています。

ここでいう「聖徒たちにひとたび伝えられた信仰」とは、イエスと使徒たちが伝えた教え、新約聖書に記されている信仰のことです。「ひとたび伝えられた」と過去形になっているため、信仰の全体像はこの時点で与えられていたことがわかります。新しい教えは、すべてこの新約聖書の教えに立って吟味する必要があります。もしその教えが新約聖書に合致するものであれば受け入れ、そうでなければ拒絶し、ユダが言うように「戦う」必要があるのです。新約聖書の信仰を守ることは、クリスチャンの務めでもあります。

今は終わりの時代

今という時代の時代認識も重要です。

今は、終わりの時代です。厳密に言うと、「終わりの時」はキリストの初臨ですでに始まっていますが(1ペテロ1:20、1ヨハネ2:18)、現在は今の世が終わる直前の時代、「終わりの時代の最後の時代」と言うこともできます。一般には、「終末時代」と呼ばれています。この時代について、イエスはマタイ24:3~8で次のように語っています。

3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。 あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。 」 4 そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。 6 また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。 7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。 8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。

弟子たちに「世が終わる時のしるし」を問われたイエスは、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる」ことが「産みの苦しみの始まり」であると答えています。ここで言われている「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」とは、ラビの用語で「世界戦争」を指しています。「産みの苦しみの始まり」とは、今の世が終わり、新しい世が始まる直前の時代を指します。この新しい世とは、旧約聖書で約束されていたメシアが統治する御国(メシア的王国、千年王国)のことです。つまり、第一次、第二次世界大戦を経験した現在の世界は、メシア的王国が到来する直前の時代となっており、今の時代の終わりの時代、終末時代に入っているのです。

終末時代の特徴については、聖書では以下のように語られています。

  • 「偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします」(マタイ24:11)
  • 「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になる」(2テモテ4:3~4)
  • 「どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです」(2テサロニケ2:3)

最後の2テサロニケ2:3では、「主の日」と呼ばれるキリスト再臨の前に来る7年間の大患難時代は、まず背教が起こり、「不法の者」と呼ばれる反キリストが現れないと始まらないと言われています。この箇所を見ると、終末時代には教会が世界を支配して、キリストの支配が地上で実現されるという新使徒運動(NAR)の終末論がいかに新約聖書から離れた教えであるかがわかります。

私たちが生かされているのは、このような終末時代です。このような時代でキリストに従って歩むために必要なことは、聖書が何を語っているかを知ることです。

あくまでも聖書にこだわる

使徒ヨハネは、2ヨハネ1:9で次のように語っています。

9 だれでも、「先を行って」キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。

イエスのことばと、イエスの教えを伝えた使徒たちのことばは、新約聖書に記されています。私たちは、その教えにとどまるように言われています。

また、パウロは2テモテ3:15~19で次のように語っています。

5 聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。 16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。 17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。

パウロは、聖書が人に知恵を与え、キリストに対する信仰による救いを受けさせることができると語っています。私たちがすべての教えを聖書に照らして判断するのはそのためです。聖書に反する教えは、知恵に反し、キリストに対する信仰による救いを受けることを妨げるものとなります。ペテロが「滅びをもたらす異端をひそかに持ち込む」(2ペテロ2:1)と偽教師に対する警戒を呼びかけ、パウロが「ほかの福音」を宣べ伝える者は「のろわれよ」と語ったのはそのためです。

私たちは、以上のことを念頭に置いて、次のみことばに従うために活動しています。

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。(2テモテ4:2~4)