フランシス・チャン「私はイエスです」
2021.01.10 新使徒運動(NAR)
ベストセラー本『クレイジーラブ』の著者として知られる中国系米国人牧師のフランシス・チャンは、宣教に訪れたミャンマーの村でいやしを求める村人がすべていやされたという逸話の中で、イエスと私は一つと語り、自分はイエスだとも語っている。
中国系米国人牧師のフランシス・チャンは、「Francis Chan’s Final Message To America」(フランシス・チャンのアメリカへの最後のメッセージ)という動画の中で、イエスと私は一つですと語り、自分はイエスだとも言っている。
この発言は、宣教のために訪れたミャンマーの村で、いやしを求める村人がすべていやされたという逸話の中で語られたもので、チャンは次のように発言している。
私の語るこのメッセージ(訳注:伝道メッセージ)が正しいことを、どうすれば村人たちに納得してもらえるでしょうか。これまでずっと正しいと信じてきたすべてのことと矛盾するメッセージです。神よ、あなたがしてくださらなければなりません。……今ここに来てください。今夜、この人たちが生涯見たことがないような力を現してください。そのように神に願い、聖書を信じ、念じていると、高校時代に暗記した聖句が脳裏によみがえってきました。キリストと私は一つであるという箇所です。そこで村を歩き回っていると、ふとこう思ったのです。「これは、イエスがこの村を歩かれているのと同じことだ」と。
イエスは、私もイエスのわざを行うことができ、イエスよりもさらに大きなわざをできると語っておられるからです。ヨハネ14:12です。高校生の時に暗記した聖句を今信じるようになったのです。今、私はイエスです。イエスと私は一つです。イエスは私の内にとどまり、私もイエスの内にとどまります。これは単なる暗記聖句ではないのです。…52年間、こういう体験をしたことは一度もありませんでした。私が触れた人を、神がすべていやしてくださったのです。1
How am I supposed to convince them that this message that contradicts everything they’ve ever believed is true? God you have to do something… Please visit. Show them one night of Power like nothing they’ve ever seen in their lives, begging God for this, and believing, believing Scriptures. Scriptures that I memorized as a high school student came alive in me where I believe that Christ and I are one. And I was walking around that village and going ‘this is no different than if Jesus walked through this village.’
Because he says I can do whatever he did, and I can do greater things than he did. John 14:12, and I memorized that as a high school student and I believe it right now. I am Jesus right now. He and I are one. He abides in me, I abide in him. These are not just memory verses… 52 years. I’ve never experienced this. Everyone I touched, God healed.
チャンは、脳裏によみがえった暗記聖句の箇所としてヨハネ14:12を挙げているが、それは次のような内容だ。
12 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
しかし、はじめに引用している「キリストと私は一つ」という言葉はヨハネ14:12にはない。ただ、似ている言葉は同じヨハネの福音書にある。ヨハネ10:30だ。
30 わたしと父とは一つです。
これはイエスが語った言葉で、天の父と自分は一つである、つまり自分は神であるという神性宣言だ。この言葉が神性宣言であることがわかるのは、それに続くヨハネ10:31~33で次のように書かれているためだ。
31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、再び石を取り上げた。32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」 33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒瀆のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」
ユダヤ人はイエスの言葉を正しく理解した。ただ、このユダヤ人たちが間違っていたのは、イエスご自身が神である可能性を排除していたことだ。そのため、イエスを石打ちにしようとしたのである。
チャンの発言で問題なのは、この言葉を神でも何でもない人間が語っていることだ。ここでチャンは天の父ではなくキリストと一つであると語っているが、三位一体の神であるキリストと自分を同一視することは神性宣言にほかならない。
このような、人間が神になれるという教えは、モルモン教や、ワード・オブ・フェイス運動(繁栄の神学)、後の雨運動の教え(およびその後継である新使徒運動)の一部にも見られるもので、異端的な教えだ。
フランシス・チャンは、元々センセーショナルで極端な教えをしていた教師ではない。福音派の中でも保守的な神学校で学び、正統的な福音派の教師として用いられていた人だ。そういう牧師が異端的な教えを語るようになるということは信じがたいことだが、それが現実に起こっていることだ。チャンのこの発言がたまたま言い間違えた不規則発言ではないことは、別のメッセージでも同様のことを語っていることでわかる2。
福音派の教師が、聖書のどこにも書かれていない異端的な教理を語り出すという例はフランシス・チャンに限らない。そうした例は、非聖書的な教えを奉じるグループと接触を重ねる教師に見られる。チャンも、この数年前からマイク・ビックル(IHOP)、ビル・ジョンソン(ベテル教会)など、新使徒運動(NAR)の指導者と行動を共にするようになっていた。
このような非聖書的な教えを広めるグループが現代の福音派に影響を与えている事例については、今後の投稿でも取り上げていく予定だ。
この記事を書いた人:佐野剛史
- “Francis Chan’s Final Message To America“, BRMinistries ↩
- 佐野剛史「フランシス・チャン『クリスチャンは人であると同時に神』」(ハーベスト・ウォッチ)↩