聖書信仰の見張り人たち

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ジョイス・マイヤー(2)「人間は小さな神」

2021.12.31 繁栄の神学 

前回の記事「ジョイス・マイヤー(1)『イエスは地獄で罪の代価を支払った』」では、ワード・オブ・フェイス運動(繁栄の神学)の教師であるジョイス・マイヤーの奇妙なキリスト論を紹介しました。今回は、マイヤーの人間論について取り上げます。

繁栄の神学の間違った教えには、大きく分けて以下の2つのパターンが見られます。

  1. 神を人の領域に引き下ろす。
  2. 人を神の領域に引き上げる。

通常、1. の一環として間違ったキリスト論が論じられ、2. の一環として間違った人間論が論じられます。前回の記事では、マイヤーの前者の教えを取り上げましたので、今回は後者の教えを見ていくことにします。

「人間は小さな神」

ほかの繁栄の神学の教師と同じく、マイヤーも「人間は小さな神」と教える「小さな神の教理(little gods doctrine)」を教えています。1

ある人のテープを聴いたのですが、彼はこのように説明していました。「神が被造物を、被造物全体ではなく、人間を小さな神々と呼ぶことについて、人々はどうしてそんなにも腹を立てるのでしょうか?」 もし神が神であるなら、人間を「神」と呼ぶ以外に呼び方があるでしょうか? つまり、人間が赤ん坊を産んだら、それを「人間」と呼びます。牛が別の牛を産んだら、「牛」と呼びます。つまり、神は私たちを何と呼ぶべきなのでしょうか? 聖書には、私たちは神のかたちに創られたと書かれているのではありませんか?

【原文を読む】

You know I was listening to a set of tapes by one man and he explained it like this and I think this kind of gets the point across. He said, “You know, why do people have such a fit about God calling his creation, his man, not his whole creation, but his man, little gods?” If he’s God, what’s he going to call them but the god kind? I mean, if you as a human being have a baby, you call it a human kind. If cattle has another cattle, they call it cattle kind. So I mean, what’s God supposed to call us? Doesn’t the Bible say we’re created in His image?

確かに人間については「神のかたちとして人を創造された」(創世記1:27)と言われています。しかし、「創造された」と言われている時点で、それは神ではありません。また、神はヤハウェ(【主】)おひとりであるというのが、聖書の一貫した主張です。申命記6:4で次のように言われているとおりです。

聞け、イスラエルよ。【主】は私たちの神。【主】は唯一である。

また、マルコ12:29~30でイエスは次のように言われています。

29  イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。 30  あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 

人間を神と呼ぶことは、イエスが言われた第一の戒めに明確に違反しています。マイヤーの教えは多神教であり、聖書とはかけ離れた神観です。

上記の発言の後に続いて、マイヤーは次のように語って自説を擁護しています。

私が言っているのは、皆さんが大文字の神(God)だということではない点をご理解ください。ここで言っているのはそういうことではありません。だから、私を石打ちにしたり、神への冒涜だと叫んだりしないでください。

【原文を読む】

Now you understand I’m not saying you are God with a capital g. That is not the issue here. So don’t go trying to stone me or yell blasphemy at me.

しかし、小文字の神(god)であるにしても、人間が神であると主張していることに変わりはありません。また、もし人間が神であったなら、創世記3:4~5の蛇(サタン)の言葉がエバの誘惑になることもなかったはずです。

4  すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 5  それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」 

この後、エバは善悪の知識の木の実を食べて、人類初の罪を犯すことになります。マイヤーは「神のようになる」というエバと同じ罪を犯しています。

さらに、マイヤーは次のヨハネ10:32~36を引用して自説を擁護します。

32  イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」 33  ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒涜のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」  34  イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った。「おまえたちは神々だ」』と書かれていないでしょうか。 35  神のことばを受けた人々を神々と呼んだのなら、聖書が廃棄されることはあり得ないのだから、 36  『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が聖なる者とし、世に遣わした者について、『神を冒涜している』と言うのですか。 

マイヤーは、この聖句の引用に続けてこう語ります。

わかりますか?イエスが「わたしは神の子だ」と言い始めたら、人々は「神への冒涜だ」と叫び始めたのです。では、私たちが全能の神の息子であり娘であることをどれだけの人が知っているでしょうか?神が私たちを産んでくださったのです。私たちは、キリスト・イエスにある新しい被造物として生まれ変わった者です。

【原文を読む】

See, when he began to say, “I’m the Son of God” then they began to yell blasphemy. Well, how many of you know that we are sons and daughters of almighty God? He has birthed us. We are born again, new creatures in Christ Jesus.

「新しい被造物」と言っている時点で人間は神ではないことがわかる発言になっていますが、ヨハネ10:32~36のイエスの言葉については少し解説が必要です。

ヨハネ10:34の「おまえたちは神々だ」という言葉の解説

イエスがヨハネ10:34で引用しているのは、詩篇82:6です。文脈を見るために以下に詩篇82篇全体を引用します。

1  神は 神の会議の中に立ち 神々のただ中でさばきを下す。  2  いつまで おまえたちは不正をもってさばき 悪しき者たちの味方をするのか。セラ  3  弱い者とみなしごのためにさばき 苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。  4  弱い者と貧しい者を助け出し 悪しき者たちの手から救い出せ。  5  彼らは知らない。また 悟らない。彼らは暗闇の中を歩き回る。地の基は ことごとく揺らいでいる。  6  わたしは言った。「おまえたちは神々だ。みな いと高き者の子らだ。  7  にもかかわらず おまえたちは人のように死に/君主たちの一人のように倒れるのだ。」  8  神よ 立ち上がって 地をさばいてください。あなたが すべての国々をご自分のものとしておられるからです。 

詩篇82篇から、「神々」と呼ばれる人々について次のことがわかります。

  • 神は「神々」と呼ばれる人々の集会で語っている(1節)。
  • この「神々」と呼ばれている人々は裁判官である(2~4節)。
  • この裁判官たちは、裁きを曲げ、弱者をないがしろにしていた(2~4節)。
  • その結果、この地の法と秩序が揺らいでいた(5節)。

このような人々に対して、主は「おまえたちは神々だ。みな いと高き者の子らだ」(6節)と語っておられるのです。そのため、「神々」という言葉は、文字通りの意味ではなく、皮肉として受け取る必要があります。「あなたがたは裁判をねじ曲げ、まるで自分が神であるかのようにふるまっている」という意味です。

その証拠に、7節では「にもかかわらず おまえたちは人のように死に/君主たちの一人のように倒れるのだ」と語っています。この言葉には、「お前は神のようにふるまっているが、しょせんは人間なのだからいつか死ぬのだ」という皮肉が込められています。さらに8節では、「神よ 立ち上がって 地をさばいてください」と言われており、「神々」ではなく、真の神が地上を治めてくださいという嘆願でこの詩篇が締めくくられています。

詩篇82篇全体を読むことでわかることは、「神々」という言葉に込められている皮肉です。この詩篇は、マイヤーが言うように「人間は神々だ」と教えているのではなく、「神のようにふるまっている裁判官も、いつかは死ぬ人間であり、最終的には神がこの地を治められる」ということを教えています。

イエスが詩篇82篇の文脈をご存じないわけがないので、イエスもユダヤ人の指導者に対して皮肉を込めてこの聖句を引用している可能性があります。つまり、「お前たちはイスラエルのさばきつかさとして神のようにふるまっているのに、神であるわたしが神性宣言をしたらそれを責めるのはどういう了見か」というような意味合いです。

いずれにせよ、詩篇82編とヨハネ10:32~36の「神々」という呼称は、皮肉として解釈しないと的外れな読み方になります。そのため、ヨハネ10:32~36を引用し、字面だけを見て「人間は神である」と言うことも的外れな主張となります。

「私はもはや罪人ではない」

さらに、マイヤーは自分のことを次のように語っています。2

私は貧しくも、惨めでも、罪人でもありません。そのような思いは地獄の穴から出た嘘です。もし私がまだそのような状態にとどまっているなら、イエスの死は無駄だったということになります。みなさん、今から言うことをよく聞いてください。私は、自分の鈍い頭に私はもはや罪人ではないということをわからせるまで、罪を犯すのをやめませんでした。宗教界は異端視し、そのためにあなたを吊るし上げようとします。しかし、聖書は、私は義人であると語っています。義人であると同時に罪人であるということはありえないのです。

【原文を読む】

I am not poor, I am not miserable, and I am not a sinner. That is a lie from from the pit of hell. That is what I were and if I still was then Jesus died in vain. I’m gonna tell you something folks. I didn’t stop sinning until I finally go through my thick head I wasn’t a sinner anymore. And the religious world thinks that heresy and they want to hang you for it. But the Bible says that I’m righteous. And I can’t be righteous and be a sinner at the same time.

クリスチャンはキリストを信じる信仰によって義とされているので、その意味では義人です。しかし、そうだからといって、罪を犯さなくなるというわけではありません。その反対に、使徒ヨハネは次のように教えています(1ヨハネ1:8)。

もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。

また、使徒パウロは1テモテ1:15で次のように語っています。

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

パウロが「私はその罪人のかしらです」と現在形で語っていることに注目してください。過去は罪人であったが、今はそうではないのなら「私はその罪人のかしらでした」となるはずです。

1ヨハネ1:8では、自分には罪がないと言う人には「真理はありません」と言われています。つまり、そのような人は偽教師であると言われているのと同じです。

まとめ

2回にわたって、ジョイス・マイヤーの教えを批判的に紹介してきました。その教えには、繁栄の神学に特徴的な以下の教えが含まれています。

  • 「イエスは新生した最初の人間」
  • 「イエスは神の御子ではなくなった」
  • 「イエスは地獄で罪の代価を支払った」
  • 「人間(クリスチャン)は小さな神」
  • 「私はもはや罪人ではない」

ジョイス・マイヤーの語るメッセージには「赦し」など聖書的なテーマもありますが、全体を見ると異端的な教えに満ちています。

この記事を書いた人:佐野剛史

参照資料


  1. ReformedWiki, “Joyce Meyer: False Teacher? – 12 Concerns (w/ Voddie Baucham, Justin Peters, Todd Friel)” (https://www.youtube.com/watch?v=uUmMZszOZkY)

  2. 同上