後の雨運動(3)「後の雨運動はなぜ消滅したのか」
2020.05.23 後の雨運動
後の雨運動は、カナダと米国の各地から何千、何万という人を集め、北米全土と世界に広がった。しかし、C・ピーター・ワグナーが言うように「最終的には尻すぼみになり、消滅」1した。それはなぜだろうか。
第一の原因は、1949年に米国アセンブリー教団から事実上の異端宣告を受けたことだ。第1回記事で述べたように、この宣言によりペンテコステ系の主要教団は後の雨運動から手を引き、運動は一時期の勢いを失った。
第二の原因は、第2回記事で紹介した「Manifest Sons of God」のような誤った教えに対して警戒感を抱いた多くの人が運動を離れたことだ。後の雨運動に参加していたセシル・コウセンという牧師は、次のように語っている。
ホーティン兄弟は、かなり早い段階から実に奇妙な教理を語り始めた……2
I think the Hawtin brothers very quickly got into very strange doctrines…
しかし、それだけで運動が消滅したわけではない。米国アセンブリー教団の宣言が出された後の1950年代に後の雨運動に参加し、その教会の1つを牧会していたビル・ハモンは次のように語っている。
後の雨運動で米国と世界各国で設立された数百の教会のほとんどは、15年以内に消滅した。3
Within 15 years, most of the hundreds of churches that had been established throughout the United States and the nations of the world during the Latter Rain Movement had disappeared.
ハモンは、1950年代当時、後の雨運動に属する教会は「数百」の規模で米国と世界各国に存在していたことを証言している。しかし同時に、1960年代半ばには「消滅した」とも語っている。後の雨運動は、異端宣告を受けた後、どのような理由で衰退したのだろうか。
2人の証人
その謎を解くには、運動の内部を知る人物の証言が必要になる。ここでは、後の雨運動の中心にいた2人の人物の証言を取り上げる。一人は、後の雨運動が始まったカナダのシャロン聖書学校の校長で、1948年に起きた「後の雨リバイバル」を指導したジョージ・ホーティンだ。ホーティンは、兄弟のアーネスト・ホーティンらと共に運動初期の中心的な指導者となった。
もう一人の証人は、後の雨リバイバルの第1回目のキャンプに信徒伝道者として参加して以来、ずっと運動に携わり、運動が下火になった1960年代以降も後の雨運動の教えを伝え続けたレジナルド(レグ)・レイゼルだ。レイゼルは、新使徒運動(NAR)のビル・ハモンに後の雨運動の教理を教えた指導者で、ハモンはレイゼルについて次のように語っている。
後の雨の真理を教える数少ない教会の中に、米国西海岸にある約15の教会がある。この教会の教職者は、使徒のレグ・レイゼルのカンファレンスに年1回参加している。レイゼルは、レストレーションに関してバランスの取れた教えを説き、この15の教会を建て上げた。ワシントン州で牧会をしていた1954年から1962年までの期間に、私も年1回開かれるこのカンファレンスに出席する特権に与り、後の雨のレストレーションの真理と原則について学び、しっかりとした基礎を築くことができた。4
About 15 churches on the West Coast of the United States were among the few continuing to teach these truths. Ministers from these churches attended an annual conference taught by Apostle Reg Layzell, who established them in balanced teaching concerning the restoration movement. I was privileged to attend this annual conference from 1954 till 1962, while I was pastoring in Washington state, and to receive a solid foundation in Latter Rain restoration truths and principles.
後の雨運動が衰退した原因を探るには、まず後の雨運動の出発点となった1948年の「後の雨リバイバル」でどのようなことが主張されていたかを確認しておく必要がある。
後の雨リバイバル
後の雨運動は、1948年に起きた「後の雨リバイバル」が発端となって始まった。このリバイバルがどのようなものだったかは、後の雨運動の機関誌『Sharon Star』で知ることができる。このリバイバルは、リバイバルを求めて断食と祈りを始めて3か月が過ぎた頃、シャロン聖書学校で与えられた「預言」がきっかけとなって起こったとされている。
……1948年2月11日に、聖書学校の若い女性の一人に預言が与えられ、こう告げられた。「偉大なリバイバルが今まさに来ようとしている。私たちがする必要があることは扉を開けることだけである。そうすれば、その中に入ることができる」。その預言が告げられた後、ジョージ・ホーティンは立ち上がって祈った……5
On February 11, 1948, a prophecy was given by one of the young women in the Bible school, saying that “We were on the verge of a great revival, and all we had to do was open the door, and we could enter in.” After she gave the prophecy, George Hawtin rose to his feet and prayed…
シャロン聖書学校校長のジョージ・ホーティンの兄弟で、後の雨運動を指導する同労者でもあったアーネスト・ホーティンは、この時に起こったことを次のように記録している。
[断食と祈りによってリバイバルを求め始めて]約3か月後に、学生全員が集まってデボーションを行っていた講堂で、突如リバイバルが始まった。……風変わりな新しい方法で、神が私たちの只中で働かれたこの朝のことは決して忘れない。学生の中には、神の力に圧倒されて床に転がっている者もいたし、主をあがめて御前にひざまずき、礼拝している者もいた。神への畏れがすべての人に臨むまで、油注ぎは深まっていった。……この後、[アーネスト・ホーティンに]長い預言が与えられ、神がなさろうとしている偉大なわざの詳細が事細かに語られた。……「わたしの民よ、今は終わりの時である。主の来臨は近付いており、わたしはわたしの民の只中で働く。聖霊の賜物が、わたしの教会に回復されようとしている」。……この預言の後すぐに、神の力の影響下にあった姉妹が、[賜物を]受け取る準備ができている5人の生徒の名前を啓示によって受け取り、告げた。この5人に長老たちが按手を行った。……長老がこの生徒たちのために祈ると、すぐさま目に見える賜物の現れがあり、いやしの賜物を受け取るにつれて、多くの人がいやされ始めた。来る日も来る日も神の栄光が私たちに臨んだ。すべての人が大いなる悔い改めとへりくだり、断食、祈りに導かれた。6
…after about three months, the revival suddenly began in our largest classroom where the entire student body was gathered for devotional exercises… I shall never forget the morning that God moved into our midst in this strange new manner. Some students were under the power of God on the floor, others were kneeling in adoration and worship before the Lord. The anointing deepened until the awe of God was upon everyone… After this a long prophecy was given [by Ern Hawtin] with minute details concerning the great thing God was about to do… “These are the last days my people, the coming of the Lord draweth nigh, and I shall move in the midst of mine own. The gifts of the Spirit will be restored to my church… Immediately following the prophecy a sister who was under the power of God gave by revelation, the names of five students who were ready to receive. Hands were laid upon them by the presbytery… Soon a visible manifestation of gifts was received when candidates were prayed over, and many as a result began to be healed, as gifts of healing were received. Day after day the glory of God came among us. Great repentance, humbling, fasting and prayer prevailed in everyone.
また、新使徒運動のC・ピーター・ワグナーは、後の雨運動について次のように語っている。
膨大な数の人が救われ、いやされ、解放され、弟子訓練を受け、宣教師として送り出され、信仰がよみがえる体験をした。しかし、こうした運動を指導した先駆者の多くがそれなりの失敗を犯してしまった。7
Huge numbers were saved, healed, delivered, discipled, sent out as missionaries, and personally revived. But many of the pioneers who led the movements made their share of mistakes.
アーネスト・ホーティンとC・ピーター・ワグナーの言葉から整理すると、後の雨リバイバルでは次のようなことが起きたとされている。
- 宣教が行われ、多くの人が救われた。
- 人々がいやされた。
- 聖霊の賜物が現れた。
- 預言が与えられた。
- 人々が解放された。
その通りであれば、なぜ後の雨運動は衰退し、消滅したのだろうか。後の雨運動の当事者の主張やワグナーの評価が正しいのかどうか、検証する必要がある。
また、ワグナーは同時に、この運動の指導者の多くが「それなりの失敗を犯してしまった」とも語っている。それでは、後の雨運動の指導者は具体的にどのような失敗を犯したのだろうか。後の雨運動の失敗の内容と原因を探ることで、現在の新使徒運動の実体や今後を見通すことができるかもしれない。
後の雨運動の実体
まずは、後の雨運動が当事者やワグナーの主張する通りであったかどうかを、ホーティンとレイゼルの証言を中心に見ていく。
(1)宣教が行われ、多くの人が救われたのか
ワグナーは「膨大な数の人が救われ、…弟子訓練を受け、宣教師として送り出され」と記している。この運動で、未信者に対する積極的な宣教が行われ、多くの人が救われたというのは本当なのだろうか。後の雨運動を最初から最後まで見てきたレジナルド・レイゼルは、次のように証言している。
第1回目のキャンプのビジョンは世界のビジョンとなった。宣教師として召される者が起こされることが預言され、資金が集められ、一部の人々が派遣された。悲劇は、それ以上派遣される者が出なかったことだ。また、派遣された者もすぐに帰国し、今は伝道の時ではない、神の命令ではないと告げられた。イエスのビジョンと言葉になんと矛盾していることか。2千年前、宣教に行けという命令が与えられ、そうする力も与えられた。この命令は撤回されたことはない。教会に伝道をやめるようにと言うのはサタンの罠である。8
The vision of the first camp meeting was a world vision now! Missionary calls were prophesied, money was raised, and some people were sent. The tragedy is that no more were sent. Also, those who were sent soon came home and were then told that evangelism was not for today—that it was not God’s order. What a contradiction to the vision and words of Jesus. Two thousand years ago the command was given to go, and also the power to so do. It has never been recalled. It is a trick of Satan for the church to stop evangelizing.
この「宣教師が送り出されたが、すぐに帰ってきた」という証言は、後の雨運動が主張していた「言語の賜物」と関係がある。この教えは、聖霊の賜物として、知らない言語を話す能力を受けるという教えで、特に外国に行く宣教師に与えられると教えられた。それを信じて按手を受け、宣教師として出て行った人々は、実際にはその通りにはならず、失意の内に帰国したと思われる。
また、この「リバイバル」に集まってきたのは、多くの場合、未信者ではなく、霊的な賜物や体験を求める信者であったことが次のような記述からわかる。
ノースバトルフォードの兄弟たちは按手によって霊的賜物を分け与えることに成功していたので、長年祈ってきた霊的賜物をいただけるのではないかと思い、あらゆる所から人々が集まってきた。……9
Because the North Battleford brethren were successful in imparting spiritual gifts by the laying on of their hands, people came from everywhere that they, also, might partake of the spiritual gifts that they had long been praying would be given them…
後の雨リバイバルは何千人、何万人という人を集めた。しかし、後の雨運動に集まった人の多くはすでにペンテコステ教会に出席していた人々で、後の雨運動に属する教会もペンテコステ系の教団を脱退して出てきた教会が多かったので、「膨大な数の人が救われた」という評価は過大評価だ。しかも、重大な教理的問題を抱え、ハモンが証言するように、数百あった教会が結局15年間で消滅したことを考えると、そこで真の救いを受けた人が果たしてどれだけいたのかどうか疑問である。
(2)いやしはあったのか
後の雨運動の当事者もワグナーも、この運動ではいやしが起きたと語っている。これは本当だろうか。レジナルド・レイゼルは次のように証言している。
私はどの集会にも参加していた。参加しなかった集会はない。しかし、キャンプの集会中にいやしが起こるのを個人的に見たことがただの1度もない。……私の知る限り、いやしは起こらなかった。……そうした報告があるにはあったが、私から言わせると、いわゆる「福音派的に言うと」という表現が当てはまる。つまりは誇張である。残念ながら、後の雨リバイバルの機関誌で報告された奇跡やしるし、不思議の多くも、「福音派的に言うと」という表現が当てはまる。10(強調は佐野が追加)
I sat in every meeting. I did not miss one. Yet I did not personally see a single healing during the whole camp meeting… As far as I know there were no healings… The reports were, in my opinion, much along the “evangelistically speaking” lines—in other words, exaggerated. I am afraid that many of the reports of the miracles, signs and wonders that appeared in the revival paper were also “evangelistically speaking.”
ここでレイゼルは「いやしは起こらなかった」と明言している。また、次に見るが、ジョージ・ホーティンも同様の証言をしている。
MEMO
レイゼルがここで言っているように、英語(米語)には「福音派的に言うと(evangelistically speaking)」という表現があり、それは「事実を誇張して言うと」という意味である。福音派クリスチャンにとっては何とも不名誉な表現だが、「福音派」を自称する人々(主にカリスマ派)が、集会の人数や、いやされた人の数などを誇大に言う、数をごまかすという認識があるために存在する言葉である。ここに、うそがあっても数を競い合う現代のカリスマ派の問題が透けて見える。
(3)御霊の賜物の現れはあったか
後の雨リバイバルでは、「聖霊の賜物が、わたしの教会に回復されようとしている」という「預言」が与えられた。これについてはどうなったのだろうか。ジョージ・ホーティンは次のように語っている。
……私たちは聖霊の賜物があることを誇ったが、結局どうなったのだろうか。いやしはあったのだろうか?奇跡はあったのだろうか?信仰、異言(言語)の賜物、知恵の言葉、知識の言葉はどこにあったのか?残ったのは預言だけで……11
…We boasted of the gifts of the Spirits, but what had become of them? Where were the healings? Where were the miracles? Where was the faith, the gift of languages, the word of wisdom, the word of knowledge? The only thing that was left was prophecy…
ホーティンは、「いやしはあったのだろうか」という「否」という答えを引き出す修辞的疑問文で、レイゼルと同様、いやしは実際には起こらなかったことを明らかにしている。そして、聖霊の賜物を挙げて「残ったのは預言だけ」と語り、聖霊の賜物は実際には与えられなかったと証言している。
(4)預言はあったのか
ジョージ・ホーティンは「残されたのは預言だけ」と語った。それでは預言は成就したのだろうか。ホーティンは次のように続ける。
……残されたのは預言だけで、肉を疲れさせるものとなった。預言の言葉は人の思いから流れるように出てきたが、成就することはめったになかった。成就しない預言は、2つの出所からしか出てこない。サタンと、人の思いである。決して神のみこころから出たものではない。12
…The only thing that was left was prophecy and it became a weariness to the flesh, flowing continually from the mind of man and and scarcely ever having any fulfillment. Prophecy that has no fulfillment comes from one of two sources: from the mind of Satan and from the mind of man, but never from the mind of God.
ホーティンは、預言の言葉が「成就することはめったになかった」と証言している。しかも、預言の言葉は神ではなく、サタンと人の思いから出たものであったと語っている。つまり、後の雨リバイバルで語られた預言は、基本的に神からのものではなく、サタンか人が語ったものにすぎないというのが、後の雨運動を導いたホーティンの結論である。
(5)人々は解放されたのか
C・ピーター・ワグナーは、後の雨運動によって「人々が解放された」と語ったが、実際にはどうだったのだろうか。後の雨運動を研究したリチャード・リス(Richard Riss)は次のように記している。
ジョージ・ホーティンは1948年6月号の『The Sharon Star』(シャロン聖書学校のニュースレター)に「いかなる教会も、ほかの教会、牧師、教会員に対して権威を行使することはできないし、行使する権限を持っていない」と書いていたが、ホーティンもその一員であるシャロン聖書学校の「巡回長老会」は、別の会衆の人々に対して実際には個人的な「導きの預言」を告げることで権威を行使していた。13
And though George Hawtin wrote in the June, 1948, issue of ‘The Sharon Star’ (the school’s newsletter) that “no church exercises or has any right to exercise authority of jurisdiction over another church, its pastors or members,” the travelling “presbytery” from Sharon, of which he was a part, did indeed exercise authority over people in other congregations through personal “directive prophecy. ”
ここでリスは、ホーティンらは個人預言を通して人々への支配を行っていたことを示している。また、レジナルド・レイゼルは、後の雨運動を指導していたホーティンらの教えについて、次のように語っている。
導入される新しい教えにはただ1つの目的しかなかった。それは、地域教会を支配するという目的である。それは(教団教派の)評議会が行使していたよりも強い支配であった。そのような教団支配をかつてはあざ笑ったものだったが、今や人々を奴隷とするという点では教団教派のさらに上を行っていた。14
All the new teaching has only one objective—to get a control over the local churches that is even stronger than that held by the old councils. This control was once derided, yet now they go even further in enslaving the people.
ジョージ・ホーティンら後の雨運動の指導者は、教団教派が地域教会を支配していると批判したが、レイゼルはホーティンらがそれ以上に人々を支配していると非難している。この点は、後の雨運動が残した教訓を振り返る次のセクションで、さらに明らかになっていく。
以上で見てきたように、後の雨運動では多くの人が救われ、いやされ、聖霊の賜物が現れ、多くの預言が与えられたと主張されてきた。しかし、多くの年月を経た後に振り返ると、主張されていたことの多くは実体が伴っていなかったことが当事者の証言からわかる。それが、運動が次第に勢いを失い、消滅した大きな原因の一つだった。
また、C・ピーター・ワグナーが言うように、後の雨運動の指導者はさまざまな失敗を犯した。それも、運動が衰退した原因だ。次はその点を検証しよう。
組織的な問題
後の雨運動の指導者、特にジョージ・ホーティンは、教団教派に分裂しているキリスト教界の現状を批判し、使徒と預言者の下で教会が一致することを訴えた。そのため、運動に参加した教会には新しい教団教派を作らないように指導し、数え切れないほどの単立教会が誕生した。また、そうした教会には自治を行い、自主的な運営を行うようことをすすめた。
そのように、後の雨運動の中心にいたホーティンのグループ(シャロン派)は、初めは地域教会の自治を主張していたが、次第に変化していった。自分たちの教えを絶対化するようになり、自分たちから出た教えでないと認めない、自分たちこそが真理を持っているという態度に変化していったのである。また、「勝利者」(第2回記事を参照)になりたければ、自分たちの権威に従わなくてはならないと教えるようになった。そのため、多くの教会がシャロン派を離れていく結果となり、シャロン派自体も自壊していった。
このように、教会の一致を訴えていた後の雨運動は、まずペンテコステ派の中に分裂を起こし、また自分たちの内部でも分裂を起こし、消滅していった。以下に、当事者の証言と共に、後の雨運動に起こった問題について見ていく。
(1)指導者の絶対化
レジナルド・レイゼルは、運動のオリジナルメンバーであるシャロン派と、シャロン派の影響を受けて各地に設立された「リバイバルセンター」と呼ばれる教会の指導者が、みずからの権威を絶対化していったことを証言している。
各リバイバルセンターの牧師は、自分自身が法律であるかのように自分の思うようにふるまった。神に用いられたオリジナルメンバーの兄弟たちに自分が最も偉大な者になりたいという野心が芽生え、そのような傾向がリバイバルセンターと呼ばれていた拠点のほとんどに広まっていった。15
The pastor of each center has become a law unto himself or herself. The striving to be the greatest started with the original brethren used of God and has swept through most of the so-called centers.
このような傾向は、聖書の権威ではなく、人である使徒の権威を強調する使徒運動の本質的な問題であるように思える。まとめのところでも取り上げるが、これは現在の新使徒運動にも見られる現象である。
(2)内部分裂
初めはシャロン派によって使徒、預言者として認定された人々の中で、そのように権威主義的になっていくシャロン派と衝突し、シャロン派と交わりを絶つ人々が現れてきた。その内の一人がレジナルド・レイゼルだ。レイゼルは次のように語っている。
最初のキャンプ集会で、神の御霊によってキリストのからだに入れられた。あなたはキリストのからだの中にいないと言っても、それでもあなたはキリストのからだの一部なのである。だれも人をそこに入れることも、そこから出すこともできない。ここに過ちがある。シャロン派の人々は、自分たちがあなたをそこに入れたのだから、出すことができると主張するのである。16
At the first camp meeting you were made a member of the Body of Christ by the Spirit of God. And even if you said you were not in the Body you still were. No man could put you in or take you out. Now the error: they claim you are only put in by them and can be put out by them.
ここで言われている「キリストのからだ」とは後の雨運動の交わりだと思われるが、レイゼルはその交わりの中でシャロン派が独裁的に振る舞い始めたと感じていることが伝わってくる。
この点は、シャロン派のジョージ・ホーティン自身の証言によっても事実であることがわかる。
…悲しいことだが、今振り返ってみると、すばらしい祝福に満ちた神の働きが始まって2年も経たないうちに、偏狭な党派心が醜い頭をもたげていたことがはっきりとわかる。……私たちは、自分たちが分派、教派に成り下がったことを猛烈に否定した。……私たちの教えと弟子訓練が厳格で硬直化したものになるにつれて、自分たちの輪の中にいない人々との交わりはなくなり、自分たちの世界がますます狭くなっていった。私たちが真の教会である。私たちが選民である。私たちは土台の上に立っているが、ほかの人々は流沙の上に立っている。私たちに従う人でなければ、悪魔を追い出してはいけない。私たちから出た教えでなければ、語るに値しない。私たちは世界で最も霊的な人々である。私たちは御国を治めることになるが、今現在も治めつつある。聖霊の賜物も持っており、大患難時代には、私たちがすべてを支配することになるはずだった。17
… As I look sadly in retrospect now, I can see with clearness that the great and blessed move of God was not two years old before the sectarian spirit began to show its ugly head… It is true that we vociferously denied that we had become a sect… Stricter and more rigid became the teaching and discipline. There was to be no fellowship with anybody who was not within the confines of our ever-narrowing circle. We were the true Church. We were the elect. We stood on the foundation and all other men stood on sinking sand. No man must cast out a devil unless he followed us. No teaching was worth the time it took to tell unless it originated with us. We were the most spiritual people in the world. We were going to reign in the Kingdom and even now we were beginning to reign. We had the gifts of the spirit, and we were going to “call the shots” in the Tribulation.
(3)教会内の階級制度
ジョージ・ホーティンは、教会内部の構造の変化について、次のように述懐している。
……私たちはニコライ派の教理と行いが自分たちの間で蔓延していたことに気付かなかった。「ニコライ派」という言葉は「ニカオ」と「ラオス」という2つのギリシャ語の単語から成り立っている。ニカオは「征服する」という意味で、ラオスは「平信徒」という意味である。この教理が醜い頭をもたげ、人々が何も意見できないようになってしまった。長老は父ではなくなり、神の相続財産(訳注:クリスチャンが神から受け継ぐもの)を支配する人々の意思を実行するだけの人になってしまった。18
..We did not know the doctrines and deeds of Nicolaitanes (which God hates, Rev. 2:6) were prevalent among us. The word Nicolaitanes is formed by two Greek words: nikao which means to conquer and laos which means the people of laity. This doctrine had reared its ugly head to the extent that the people had no voice in anything. The elders were no longer fathers, but men who were to carry out the will of those who were lords over the heritage of God…
つまり、教会を聖職者と信徒という2つの階層に分け、聖職者が信徒を支配し、信徒は聖職者にただ従うだけという不健全な教会になってしまったという告白だ。また、使徒と預言者が教会を統治する体制の下では、長老(牧師も含まれる)の役割が使徒と預言者の決定をただ実行するだけの連絡係のような存在に成り下がってしまったということも語っている。この点については、まとめのところで改めて触れることにする。
(4)偽使徒
ジョージ・ホーティンは、運動内部にいた「偽使徒」を野放しにしていたことも、運動の衰退につながったと告白している。
……しかし、エペソの教会ように、私たちも初めの愛を失い、悔い改めて初めの行いに戻らなければならないことに気付かなかった。エペソ教会の汚点の1つは、黙示録2:2に記されているように偽使徒がいたことであるが、それを私たちは忘れていた。偽使徒とは、実際には使徒でも何でもない嘘つきのことである。長年の間、私たちの中に偽使徒が忍び込んでいたことに気付かなかった。この人々は名ばかりの使徒で、生涯の中で一度も自分で土台を築いたことがなく、いつも他人の土台の上に建てている人々である。19
…But we did not know that like Ephesus we had lost our first love, and must repent and do the first works over again. We did not remember that one of the dreadful marks of the church of Ephesus was that is was characterized by false apostles, Rev. 2.2, who were not apostles at all, but liars. We did not know that through the years false apostles had crept in among us, men who were apostles in name only, who had never founded anything in their lives but were building on the foundation of others.
ビル・ハモンも、後の雨運動には問題のある「使徒」がいて、運動の崩壊につながったことを示唆している。
1960年代に四百名の教職者を監督し、結婚して4人の十代の子どもがいて、世界中のカンファレンスで講演していた使徒を知っている。しかし、この人物は後に深刻な同性愛の罪に陥っていたことが明らかになった。20
I knew a mighty apostle in the 1960’s who oversaw four hundred ministers, was married with four teenage children, and spoke at conferences around the world, but it was revealed and proven that he had a serious problem with homosexuality.
以上で見てきたように、後の雨運動では使徒と預言者の権威が肥大化して独裁的になった結果、内部で衝突が起きて分裂し、内部から崩壊していったことがわかる。
また、使徒と呼ばれる人の中には偽使徒がいて、それによって運動がおかしくなっていったともホーティンは語っている。しかし、そういう人だけが偽使徒なのだろうか。偽使徒を見抜けなかったこと自体、その人が使徒ではないことを示しているのではないだろうか。パウロは偽使徒を見抜き、そのような人々が教会で教えることを決して容認しなかった(2コリント11:13)。また、使徒が行ったいやしで、いやされたと宣言したが実はいやされていなかったとか、預言者が語った預言で、こうなると言ったのに実はそうならなかったという例はない。その点を見ても、後の雨運動の使徒と預言者と呼ばれた人々の実体がわかる。
聖書的に見れば、後の雨運動には本物の使徒も、預言者もいなかったのである。
後の雨運動後のカリスマ運動
後の雨運動は消滅したが、新使徒運動のワグナーやハモンの例でもわかるように、後の雨運動の教えは今もカリスマ運動に受け継がれている。
また、後の雨リバイバルの後も、全国から何十万、何百万という人々が集まってくるリバイバルは、ペンサコーラ・リバイバル、レイクランド・リバイバルなど、何度も起こっている。後の雨リバイバルと同じく、こう言った最近のリバイバルでも何度もいやしが宣言されているが、医学的に証明できるいやしはペンサコーラ・リバイバル21でも、レイクランド・リバイバル22でも起こっていない。
さらに、新使徒運動でも、後の雨運動のように、使徒や預言者の権威が肥大化し、使徒と呼ばれる人々が周囲と軋轢を起こしている現象が見られる。このことは、自称「使徒」の世界最大のコミュニティICAL(International Coalition of Apostolic Leaders)の幹部であるジョセフ・マッテラ(Joseph Mattera)が証言している。マッテラはもちろん使徒の存在自体を否定しているわけではないが、使徒と名乗る人々の中に問題を起こす人々がいるとして次のように語っている。
- 多くの指導者が、使徒としての実がないのに、使徒と名乗る。
- 多くの使徒的指導者が、独裁的な指導スタイルを持っている。
- 自分を使徒と呼ぶ多くの人が、独立独歩の精神を持ち、福音派の教団教派の監督や指導者とうまく協力して働けない。
- 使徒運動の中の一部の人が、ある国々で分裂を引き起こしている。
- 使徒運動の一部の人は、権威主義的で、自分には地域の一般の牧師よりも大きな権威が神から与えられていると信じている。
- 使徒運動の一部の人は、別の教団に属する牧師や教会を所属教団から離れさせ、自分の「覆い」の下に置く。
- 自分で自分を使徒に任命する人が多くいる。
- 自分の町や地域の外で多くの人を使徒に任命する指導者がいる。
- 多くの人が、必要な過程を踏まないで使徒の肩書きを名乗る。
- 多くの人が、使徒としての油注ぎや賜物がないのに、使徒としての啓示や言葉を語る。23
1. Many leaders who use the title have no apostolic fruit 2. Many apostolic leaders have an autocratic leadership style 3. Many who call themselves apostles have an independent spirit and don’t work well with denominational overseers or leaders of evangelical associations 4. Some identified in the apostolic movement have caused division in certain nations 5. Some in the apostolic are hierarchical and believe they have more God-given authority than the average pastor in their region 6. Some in the apostolic have taken pastors and churches away from their associations and brought them under their own “covering” 7. Many apostles are self-appointed 8. Leaders outside their city or region have commissioned many apostles 9. Many have the title without due process 10. Many have apostolic revelation and language without apostolic anointing and gifting
マッテラのように、使徒運動の行き過ぎを防ごうとする人々もいる。しかし、上記のような状況は、みずからを使徒と預言者と呼び、教会内で特別な権威を主張する現代の使徒運動の本質的な問題である。
まとめ
以上で、後の雨運動は、当初言われているような教会の一致や聖霊の賜物の現れを見ることがなく、運動として消滅したことを見てきた。しかし、使徒と預言者の回復は、今も新使徒運動に受け継がれ、声高に叫ばれている。ただ、後の雨運動が残した実を見ると、現代の使徒運動に希望は持てない。それは、現代の使徒運動自体が抱える問題だからだ。その問題の1つが、現代の使徒運動が採用する聖書解釈の問題である。後の雨運動や新使徒運動は、次のエペソ4:11~13を根拠に、現代にも使徒と預言者が必要だと説く。
11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。 12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。 13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
しかし、以上で見てきたように後の雨運動の歴史を振り返ると、体験的に次のことが言える。
- 使徒と預言者は教会の成長と一致に貢献しなかった。
- 使徒と預言者は、中世カトリックのような聖職者が信徒を支配する権威主義的な教会を作り上げる傾向がある。
- 使徒と預言者の権威の下では、信徒が自由に意見を言う環境ではなくなる。
- 現代の使徒・預言者の権威の下では、牧師・教師は使徒との預言者の言葉をただ実行するだけの連絡係のような存在に成り下がってしまう。
現代の使徒運動がエペソ4:13を完全に読み間違えているのは、クリスチャン(教会)は「神の御子に対する信仰と知識において」一致するのであって、現代の使徒と預言者の権威によってではないという点だ。「神の御子に対する信仰と知識」はみことばに記されているので、聖書を学ぶことでしか一致はない。そのため、パウロもテモテに次のように教えている(2テモテ2:15)。
15 あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。
パウロは、神の預言を受け取れとも、使徒の権威によって教会を一致させよとも語っていない。また、パウロはテトスに次のように語っている(テトス1:9)。
9 教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。
パウロは、反対する人々を使徒の権威によってではなく、みことばによって戒めよと語っている。
4つ目のポイントで、現代の使徒・預言者の権威の下では牧師・教師は連絡役に成り下がってしまうことも指摘した。牧師・教師の仕事は、初代教会の使徒と預言者が築いた新約聖書という土台にしっかりと立ち、みことばを解き明かすことで信徒が「一人の成熟した大人」のクリスチャンになることを助けることである。しかし、上に見たように、使徒と預言者による体制の下では、使徒や預言者の語る「啓示」や教えに従うという支配と服従の関係が固定化し、信徒がみずから聖書を学び、みことばに基づいて考え、行動する「一人の成熟した大人」となることは至難の業と言える。
初代教会の使徒は、信徒に対して何を望んでいただろうか。使徒ヨハネは、3ヨハネ4で次のように語っている。
4 私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。
使徒ヨハネは、ヨハネの福音書で、弟子たちが一つになるようにと祈る次のようなイエスの祈りを書き記している(ヨハネ17:21~23)。
21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。 22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。
このみことばと、エペソ4:13の一致についてのみことばを根拠に、今日の教会は細かい教理の違いは気にせず、まずは一致しないといけないというようなことが語られることがある。
しかし、上記のヨハネ17:21~23に先立って、ヨハネ17:17では次のように語られている。
17 真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。
ここでは、「みことばの真理によってきよめられること」と、「信者の間で一致があること」はイエスの同じメッセージの中で語られている。つまり、一致の前提は真理によってきよめられることであり、みことばの真理を追求していけば、信者はおのずから一致に向かうのである。両者の間に矛盾はない。
参考文献
Charles Graves, Anointing or Apostasy? The Latter Rain Legacy
- C. Peter Wagner, Apostles Today (Baker Publishing Group, 2006), p.13 ↩
- Richard M. Riss, “Latter Rain”, Taped message – Cecil Cousen to Richard Riss, 20 March 1977 ↩
- Bill Hamon, The Day of the Saints: Equipping Believers for Their Revolutionary Role in Ministry (Destiny Image, 2012), p.139 (Kindle 版) ↩
- 同書p.139 ↩
- Richard M. Riss, “The Latter Rain”, p. 61 ↩
- Ernest Hawtin, “How This Revival Began”, p. 3 ↩
- C. Peter Wagner, Apostles Today (Baker Publishing Group, 2006), p.13 (Kindle 版) ↩
- Reginald Layzell, Pastor’s Pen: First Hand Accounts of the 1948 Prophetic Revival (2019) (Kindle 版) ↩
- Richard M. Riss, “The Latter Rain”, pp. 62-64 ↩
- Reginald Layzell, Pastor’s Pen: First Hand Accounts of the 1948 Prophetic Revival (2019) (Kindle 版) ↩
- George R. Hawtin, “Mystery Babylon“, TREASURES OF TRUTH, Volume 20, (Treasures of Truth, 1980), p.6 ↩
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- Richard M. Riss, “The Latter Rain”, pp. 62-64 ↩
- Reginald Layzell, Pastor’s Pen: First Hand Accounts of the 1948 Prophetic Revival (2019) (Kindle 版) ↩
- 同書 ↩
- 同書 ↩
- George R. Hawtin, “Mystery Babylon“, TREASURES OF TRUTH, Volume 20, (Treasures of Truth, 1980), pp.5,6 ↩
- 同書p.5~6 ↩
- 同書p.5~6 ↩
- Bill Hamon, Apostles Prophets and the Coming Moves of God (Destiny Imagine, 1997) (Kindle 版) ↩
- “Secrets inside the revival“, Cult Education Institute ↩
- Cameron Buettel and Jeremiah Johnson, “False Apostles and the Case of Todd Bentley,” Grace to You ↩
- Joseph Mattera, “Abuses and Blessings of the Contemporary Apostolic Movement” (August 10, 2017) ↩