聖書信仰の見張り人たち

聖書信仰の見張り人たち

「宗教の霊」とは何ですか?

2021.11.04 教会論 

新使徒運動(NAR)の指導者が「宗教の霊」という言葉を使うことがあります。これはどういう意味で、どのような文脈で使われるのでしょうか。この言葉をよく吟味することで、新使徒運動の危険性が浮き彫りになります。

定義

新使徒運動の思想的な父と呼ばれ、新使徒的宗教改革(New Apostolic Reformation:NAR)という用語を作ったことでも知られるC・ピーター・ワグナーは、「宗教の霊」を次のように定義しています。

宗教の霊とは何か?これは私の定義だが、かなり正確だと思う。宗教の霊とは、宗教的な仕掛けを使って変化を妨げ、現状を維持するために遣わされたサタンの使いである。1

【原文を読む】

What does the spirit of religion do? Here is my definition, which I think is quite accurate: The spirit of religion is an agent of Satan assigned to prevent change and to maintain the status quo by using religious devices.

ワグナーによると、「宗教の霊」とは悪霊(サタンの使い)であり、教会やクリスチャンの変化を妨げるものであることがわかります。それでは「変化」とは何でしょうか。ワグナーは続けてこのように語っています。2

私の言う「変化」とは、神がご自分の民のためにいつの時代も用意しておられる新しい方向性を指している。神はダイナミックな方だ。個人のためにも、教会のためにも、新しい時代と季節を切り開いてくださる。神は新しいぶどう酒を新しい革袋に注いでくださる。聖書には、「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい」(黙示録2:7)とある。この「告げる」という言葉は、過去形ではなく、現在形である。宗教の霊は、過去時制のことばに注目させることで、現在時制のことばを聞かないように仕向けるのだ。

【原文を読む】

The “change” that I am referring to embraces the new directions that God continually has for His people. God is not static. He unfolds new times and seasons for us as individuals and for the corporate church. He pours His new wine into new wineskins. The Bible says, “He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches” (Revelation 2:7). The word “says” is in the present tense, not the past tense. The religious spirit tries to keep us from hearing the present tense by having us focus on the past tense.

ここでワグナーが言う「新しい革袋」とは、ワグナーが提唱する新使徒運動(NAR)のことです。ワグナーは、聖霊が今教会に新使徒運動という新しい運動を起こしていて、その変化に従う必要があると訴えているのです。それでは、宗教の霊が注目させようとする「過去時制の言葉」とは何でしょうか。これについてワグナーはこう明言しています。3

過去に神が語ったこととは、確かに神のみことばだ。

【原文を読む】

What God said in the past was truly the word of God.

以上をまとめると、次のようになります。

現代の「使徒」の主張

宗教の霊とは、神が用意しておられる新しい方向性への変化を教会が受け入れることを妨げる悪霊である。この悪霊は、現在、聖霊が使徒と預言者を通して語っておられることではなく、過去に聖霊が語った聖書に注目するように仕向けることで、神の働きを妨げている。

この教えの問題点

この教えには以下のような問題点があります。

問題1. 聖書的な根拠がない

C・ピーター・ワグナーは、「宗教の霊」の教えの根拠となる聖書箇所を一切示していません。その代わりに、ワグナーは宗教の霊の教えの根拠として次のように語っています。4

この時代に神が私に与えてくださった任務の一つは、キリストのからだに対して宗教の霊の存在を知らしめ、宗教の霊を認識し、対処し、最終的には縛ることだ。私たちクリスチャン、教会、ミニストリー、キリスト教指導者が、神の望んでおられる通りの存在になるためには、宗教の霊から完全に解放される必要がある。

【原文を読む】

One of the assignments that God has given me in this season is to expose the spirit of religion to the body of Christ so that it can be recognized, dealt with, and ultimately bound. We as individual believers, our churches, our ministries, and our Christian leaders in general need complete freedom from the religious spirit if we are going to be everything that God wants us to be.

「この時代に神が私に与えてくださった任務」という言葉から、ワグナーは宗教の霊に関する教えを神から直接受けたと主張していることがわかります。ここに新使徒運動の危険性があります。聖書にまったく根拠のない教えを「使徒」の権威によって神の教えとして語る危険性です。

また、「宗教の霊を…縛る」と語っていますが、悪霊を「縛る(bind)」という概念は聖書にはありません。マタイ16:19には、「つなぐ(縛る)」と「解く」という権威がペテロに与えられたという記述があり、同じくクリスチャンにも悪霊を縛る権威が与えられているという主張があります。しかし、これは聖書の誤った解釈です。ハーベスト・タイムの中川健一牧師は、次のように語っています。5

 「つなぐ」、「解く」という言葉の意味について考えてみましょう。これは使徒的権威を指す言葉です。(1)「つなぐ(縛る)」、「解く」という表現は、紀元1 世紀のラビたちが用いていたものです。「つなぐ」とは禁止する、「解く」とは許可する、という意味です。それが刑法的に用いられた場合は、前者が有罪、後者が無罪、という意味になります。(2)イエスは、当時のラビたちの用語をそのまま採用して、ペテロに「つないだり解いたりする権威」を付与されたのです。……最近は、「悪霊を縛る」という表現をたびたび耳にしますが、少なくともこの聖句は「悪霊を縛る」こととは何の関係もありません。

「宗教の霊」も、クリスチャンが悪霊を縛ることも、聖書にはない教えです。

問題2. 人々を聖書から遠ざける

宗教の霊に関する教えの第二の問題点は、人々を聖書から遠ざけてしまうことです。先ほどの引用文で、ワグナーは次のように語っています。

聖書には、「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい」(黙示録2:7)とあります。この「告げる」という言葉は、過去形ではなく、現在形です。宗教の霊は、過去時制のことばに注目させることで、現在時制のことばを聞かないように仕向けるのです。過去に神が語ったこととは、確かに神のみことばでした。

ここでワグナーは、神のみことばである聖書を「過去時制のことば」と呼び、聖書に注目して「現在時制のことば」を聞こうとしないのは「宗教の霊」に従っているためだと語っています。つまり、ここでワグナーは、聖書研究に熱心で新使徒運動の語る言葉に耳を傾けない人は、悪霊に従っていると語っていることになります。

このように、ワグナーをはじめとする新使徒運動の指導者は、聖書に従おうとする人々をあしざまにけなすことで、人々を聖書から遠ざけようとします。しかし、聖書はワグナーとは逆に、受けた教えを聖書に照らして熱心に調べる人を称賛しています(使徒17:11)。

この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。 

また、使徒パウロはテモテにこう語っています(2テモテ3:14~15)。

14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、15 また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。 

この箇所によると、人々を聖書から遠ざけているワグナーは、キリスト・イエスに対する信仰による救いからも遠ざけていることになります。この一点だけを見ても、ワグナーが偽使徒であることがわかります。

問題3. 指導者が信者を意のままに操ることが可能になる

それでは、仮にワグナーの教えに従ったらどうなるのか、客観的に考えてみましょう。まず、ワグナーが言う「御霊が今語っていること」はどうやって知ることができるのでしょうか?ワグナーは次のように語っています。6

使徒は、神から啓示を受け取り、その結果として「これが、御霊が今教会に告げておられることです」と言うことができる。そのようなことを信頼性をもって告げることには、とてつもなく大きな権威が伴う。

【原文を読む】

Apostles receive revelations from God, and consequently they are able to say ‘This is what the Spirit is saying to the churches right now.’ Making such a statement with credibility carries with it tremendous authority.

つまり、ワグナーは、「宗教の霊」という教えを通して、聖書ではなく、御霊が今教会に告げておられることを聞いている「現代の使徒」に従いなさいと主張していることになります。

また、ワグナーの影響を受けた新使徒運動の指導者の一人、ビル・ジョンソン(米国カリフォルニア州のベテル教会牧師)は、宗教の霊について次のように語っています。7

反キリストの霊が今も働いており、聖霊の油注ぎに関係するすべてのものを拒否するように信者に働きかけている。……宗教の霊がはびこるようになったのは、反キリストの霊によるものだ。宗教の霊とは、神の御霊の代わりに知性に導かれるように働きかける悪霊的存在である。

【原文を読む】

The spirit of the antichrist is at work today, attempting to influence believers to reject everything that has to do with the Holy Spirit’s anointing… It is the antichrist spirit that has given rise to religious spirits. A religious spirit is a demonic presence that works to get us to substitute being led by our intellect instead of the Spirit of God.

ビル・ジョンソンはここで、宗教の霊は聖霊よりも知性に従うように導く悪霊であると語っています。以上のワグナーとジョンソンの教えを受け入れて、その通りに従ったらどうなるでしょうか。聖書を読まず、指導者の言うことに盲従するカルト集団の出来上がりです。

しかし、聖書はワグナーやジョンソンの教えとはまったく逆のことを教えています。2テモテ4:2~4では次のように記されています。

2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、 4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。

ワグナーのような指導者が大きな影響力を持っていた現代は、「真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代」であると言えるのではないでしょうか。

また、聖書は知性について次のように教えています。

わが子よ、見失ってはならない。知性と思慮をよく見守れ。 (箴言3:21)

イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 (マタイ22:37)

以上見たように、宗教の霊の教えは、人々を聖書ではなく、使徒や預言者の教えに盲従するように導くカルト的な教えであることがわかります。

実際に、新使徒運動(NAR)の影響を受けた教会では、カルト的な指導が行われていることが証言されています。英国のオスカー・J・ワットモアは、所属教会がNARの影響を受けて、聖書的な教えから離れていった様子を次のように語っています。

「主が油注がれた者に触れてはならない」という教えが入ってきた。NARの指導者の教えや「預言的」言葉を全面的に受け入れなければ、あなたの信仰には欠けがある、あなたは批判的で反抗的な、あるいは宗教的な霊を持っていて、分派を起こす者だという目で見られ、さらには神ご自身に逆らっているとみなされた。8

【原文を読む】

IN CAME “TOUCH NOT THE LORD’S ANOINTED”—Anything less than wholesale acceptance of the teachings and “prophetic” utterings of the NAR leaders carried the strong implication that your faith was lacking, that you had a critical, rebellious or religious spirit, that you were divisive, or even that you were against God Himself!

聖書ではなく、預言者と使徒に盲従するように教え、それを信者が受け入れれば、預言者と使徒を自称する指導者は信者を意のままに操ることができます。「宗教の霊」と「現代の使徒と預言者」という教えは、単独でも危険な教えですが、2つを組み合わせることで、カルト的宗教をつくり上げる最強の武器となります。そのような教えを持っている人々からは遠ざかることが最善策です。

補足:宗教の霊に従う人はパリサイ人という主張について

ワグナーは、「宗教の霊」に従う人は「パリサイ人」であると主張し、神に逆らっていると批判します。しかし、ワグナーはここでも聖書解釈を誤っています。ワグナーは次のように語ります。

パリサイ人のことを考えてみてほしい。パリサイ人はイエスの仇敵となった。しかし、パリサイ人は悪人ではなかった。神の律法を厳格に守っていた。ユダヤ人の指導者として尊敬されてもいた。それなのに、なぜイエスをそれほどまでに憎んだのだろうか?それは、宗教の霊がパリサイ人を強く支配していたためだ。イエスは、神の国という新しい時代をもたらすために来られた。イエスは自分たちが何世紀にもわたって待ち望んでいたメシアであったにもかかわらず、宗教の霊によって盲目になっていたため、それがわからなかったのだ。9

【原文を読む】

Think of the Pharisees. They became Jesus’ worst enemies. They were not bad people. They strictly followed the laws of God. They were respected leaders of the Jews. Why, then, did they hate Jesus so much? It is because the religious spirit had such a tight grip on them. Jesus came bringing a new season — the kingdom of God. Even though He was the Messiah they had been waiting for over the centuries, they could not see it because the religious spirit had blinded their eyes.

パリサイ人は、宗教の霊に従い、盲目にされていたので、イエスがメシアであることがわからなかったという主張です。これによってワグナーは、現代に生きるあなた方も、宗教の霊に従って、聖書にあくまでも忠実であろうとするのなら、新しい時代に導き入れる使徒と預言者が与えられているにもかかわらず、それに気付かずに結果的に神に逆らうことになるという警告です。

しかし、ここでワグナーは聖書を誤解しています。イエスは、パリサイ人が律法に従っていることを責めたのではありません。イエスは、パリサイ人が口伝律法に従うことで、聖書に書かれている本来の律法を破っていることを責めておられたのです。マタイ15:1~3、6では、次のように言われています。

1  そのころ、パリサイ人たちや律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て言った。 2  「なぜ、あなたの弟子たちは長老たちの言い伝えを破るのですか。パンを食べるとき、手を洗っていません。」 3  そこでイエスは彼らに答えられた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを破るのですか。…… 6  ……こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために神のことばを無にしてしまいました。 

イエスは律法に従うことを批判したのではありません。聖書に書かれた本来の律法をないがしろにする「口伝律法」に従うことを批判したのです。口伝律法とは、律法を破らないように定められた細則で、一つの律法にいくつもの口伝律法がぶら下がっていました。その口伝律法を守ることにこだわるあまり、聖書に書かれている本来の律法をないがしろにしていることをイエスは責められたのです。聖書にはない、自分たちが定めた教えで人を裁くという意味では、「宗教の霊」という教えによって人を裁くワグナーの側が、イエス時代のパリサイ人と同じ過ちを犯していることになります。

結論

「宗教の霊」は、人々を聖書から遠ざけ、現代の使徒と預言者に従うように導くために使われる新使徒運動(NAR)の用語です。この教えに聖書的な根拠はありません。この言葉は、使徒や預言者の権威によって語り、その権威を信者が受け入れれば、指導者が信者を意のままに操ることが可能になる危険なカルト的教えです。


  1. C. Peter Wagner, “The Wiles of the Spirit of Religion” (http://www.elijahlist.com/words/display_word.html?ID=3007)

  2. 同上

  3. 同上

  4. 同上

  5. 中川健一『クレイ聖書解説コレクション「マタイの福音書」』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ)P. 215~216

  6. C. Peter Wagner, Spheres of Authority: Apostles in Today’s Church (Wagner Publications, 2002), p. 97

  7. Bill Johnson, When Heaven Invades Earth Expanded Edition: A Practical Guide to a Life of Miracles (Destiny Image), p.4. Kindle 版.

  8. Barbara M. Hansell, Narrow Is The Way – Have You Really Found It? (Sound Word, 2020), p.6 (Kindle 版)

  9. C. Peter Wagner, “The Wiles of the Spirit of Religion” (http://www.elijahlist.com/words/display_word.html?ID=3007)


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