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TJCII(Toward Jerusalem Council II:第二エルサレム会議に向けて)は聖書的な運動ですか?

2020.03.06 教会論 

目次

現代の「使徒」の主張

ユダヤ人信者(メシアニックジュー)と異邦人信者の関係は、初期の頃に異邦人信者がユダヤ人信者を拒絶したことで壊れてしまった。異邦人教会は、この過去を悔い改め、使徒15章のエルサレム会議でユダヤ人信者が異邦人信者を異邦人のままで受け入れたように、次の第二エルサレム会議ではユダヤ人信者をユダヤ人のままで受け入れる必要がある。そのようにしてユダヤ人と異邦人の和解が成立することで、教会間の一致が進み、キリストの再臨が早まる。

具体例

ブランチャード1は、奴隷制の撤廃という大義のために戦った。私も大義のために立ち上がった。その大義とは、メシアニックジュー運動を全面的に受け入れ、置換神学によるユダヤ人/イスラエルの否定を教会からなくすことである。このビジョンは、後に「第二エルサレム会議に向けて(Toward Jerusalem Council II)」というプロジェクトで具体的な形を取ることになる。2 ― ダン・ジャスター(ユダヤ人宣教団体「ティックーン」代表。NARの思想的指導者であるC・ピーター・ワグナーに「ユダヤ人の使徒」と呼ばれたメシアニックジュー指導者)

【原文を読む】

Blanchard fought for a great cause: the elimination of slavery. I, too, stood for a great cause: the embrace of the Messianic Jewish movement and the elimination of the rejection of Jews/Israel due to replacement theology in the Church. This vision would later be expressed in the Toward Jerusalem Council II project.

パウロがローマ11章で提示している(ユダヤ人信者と異邦人信者による)両方向からの証しは、イスラエルがみな救われるまで続く。これが「第二エルサレム会議に向けて」の委員会の見解である。この壮大なプロジェクトで、私たちは教会全体に対して悔い改めを呼びかけ、すべての教団教派が参加して教会全体がイスラエルおよびメシアニックジューと連携(アライメント)するように求めている。3 ― ダン・ジャスター

【原文を読む】

Paul in Romans 11 presents a two-pronged witness that is to last until all Israel is saved. This is the view of our Toward Jerusalem Council II committee. In this great project we call for repentance and the alignment of the whole Church, in all its streams, with Israel and the Messianic Jews.

TJCIIは、メシア再臨の引き金となる人類史上でも大きな出来事の一つになるかもしれない。もちろんそうなれば、世界のすべての民族とユダヤ民族、イスラエルの贖いにつながる出来事となる。4 ― TJCII委員会編『Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents(第二エルサレム会議に向けて ― ビジョン、起源、文書)』

【原文を読む】

TJCII may indeed be one of the key elements in human history that triggers the Messiah’s return. This would, of course, lead to the redemption of all the nations of the world as well as the Jewish people and the nation of Israel.

実際

異邦人教会が初期の頃(ローマ時代)からユダヤ的なものを排除し、ユダヤ人信者がユダヤ人として生きることができないようにしてきたのは歴史的事実である。そのことを悔い改め、異邦人信者とユダヤ人信者の間の断絶を克服して和解を実現しようという意図は十分理解できる。ただし、TJCII運動は単なる和解運動ではなく、エキュメニカル(教会一致)運動という別の側面がある点に注目する必要がある。また、この運動の中心人物であるダン・ジャスターは、教会論において、聖書ではなく、ローマ・カトリック教会の教えに回帰することで教会の一致を実現しようとしており、「聖書のみ」の原則に立つプロテスタント教会には受け入れがたい立場を取っている。また、ジャスターやジャスターの団体「ティックーン」の教会論や終末論を背景にTJCIIを眺めると、この運動を聖書的な運動として位置付けることは難しい。

解説

「第二エルサレム会議に向けて」(Toward Jerusalem Council II。以下「TJCII」と表記)は、異邦人教会がユダヤ的なものを教会から排除し、ユダヤ人信者を疎外してきた歴史を悔い改め、両者の和解を実現しようという超教派の運動です(参照:TJCIIウェブサイト)。TJCIIのパンフレットによると、この運動のビジョンは以下の通りです。
「第二エルサレム会議に向けて」は、教会内のユダヤ人と異邦人の間で悔い改めと和解を実現するための取り組みです。この運動のビジョンは、いつの日か第二回エルサレム会議を開き、重要な面で、使徒15章に記されている第一回使徒会議で行われたのとは逆のことを行うことです。第一回会議は、イェシュア(イエス)を信じるユダヤ人信者で構成され、異邦人にユダヤ人の律法を守るように要求しないことを決定しました。第二回会議は、異邦人教会の指導者で構成し、ユダヤ人のアイデンティティと習慣を捨てるように要求することなく、イェシュアを信じるユダヤ人信者を承認し、歓迎する時となります。5

【原文を読む】

Toward Jerusalem Council II is an initiative of repentance and reconciliation between the Jewish and Gentile segments of the Church. The vision is that one day there will be a second Council of Jerusalem that will be, in an important respect, the inverse of the first Council described in Acts 15. Whereas the first Council was made up of Jewish believers in Yeshua (Jesus), who decided not to impose on the Gentiles the requirements of the Jewish law, so the second Council would be made up of Gentile church leaders, who would recognize and welcome the Jewish believers in Yeshua without requiring them to abandon their Jewish identity and practice.

教会の歴史を振り返り、教会の取ってきた反ユダヤ的な態度を悔い改め、置換神学のような間違った教えをなくそうとすることは聖書的に正しいことです。また、異邦人信者とユダヤ人信者の間の断絶を克服し、和解を実現しようというTJCIIの意図も十分理解できます。

MEMO

初期の教会に起きた異邦人とユダヤ人の断絶についての説明は、この記事の末尾にある「付録:ユダヤ人と異邦人の断絶」を参照してください。

ただ、TJCIIを評価する際に、TJCIIは単なるユダヤ人信者と異邦人信者の和解運動ではないという点にも目を向ける必要があります。また、TJCII設立の背景にある考え方についても注目すべきだと考えます。そのような視点でTJCIIを眺めると、TJCIIについて以下の5つの点を指摘することができます。
  1. TJCIIは単なる和解運動ではなく、エキュメニカル(教会一致)運動としての側面も併せ持っている。
  2. TJCII創立メンバーのダン・ジャスターは、ローマ・カトリック教会の教会統治モデル(使徒継承)を取り入れてエキュメニカル運動を推進しようとしている。
  3. ジャスターが構想する教会統治モデルでは、宗教改革の原則に立つプロテスタント教会は教会とはみなされなくなる。
  4. TJCIIでは、ユダヤ人の「長兄」「親」としての立場が強調され、世界の教会の中でユダヤ人が指導的な役割を果たす必要性が強調されている。また、ジャスターは、現代の「使徒」が教会の指導的立場に立つことを提唱している。この2つの主張を掛け合わせると、ユダヤ人の「使徒」が世界の教会を指導する必要が合うという主張が展開されていることになる。
  5. ジャスターの団体「ティックーン」は、ユダヤ人の使徒と長老が世界の教会を統治するための機関として、使徒15章の「エルサレム会議」のような、現代の使徒によって運営される「エルサレム評議会」を設置することを主張している。TJCIIが開催を求めている「第二エルサレム会議」は、ティックーンが主張する「エルサレム評議会」を樹立するためのスプリングボード(踏み台)となる可能性が高い。
TJCIIについては、上記のような点を理解した上で評価する必要があります。そこで、この記事では、以上の5つの点についてTJCIIのパンフレット、ジャスターの発言、ティックーンの主張などを引用しながら論証し、最後にTJCIIの聖書的な評価を行いたいと思います。

MEMO

和解運動としてのTJCIIの意義は十分理解できると述べましたが、気になる点もあります。TJCIIの創立メンバーの一人であるジョン・ドーソン(John Dawson。YWAMの指導者)は、「Identificational Repentance(代理の悔い改め)」という概念を教えており、TJCIIもこの教えの影響を受けています。これは「Generational Sin(世代間に伝わる罪)」という教えと関連した教えで、聖書的な根拠に欠けるものです。この教えについては、関連Q&A記事「『代理の悔い改め(Identificational Repentance)』『世代間に伝わる罪(Generational Sin)』は聖書的な教えですか?」を参照してください。

1. TJCIIのエキュメニカル(教会一致)運動としての側面

TJCIIには、さまざまな教団教派が集まって教会一致を目指すエキュメニカル運動としての側面があります。この点は、TJCIIのメンバー構成、パンフレット、実際の行動を見るとわかります。 TJCIIのエキュメニカル(教会一致)運動としての側面は、委員会のメンバー構成に表れています。TJCII委員会のメンバー構成を見ると、エキュメニカル運動にかかわる指導者が多いことに気付きます。
  • マーティン・ブールマン(Martin Bühlmann):ビンヤード教会運動をヨーロッパに広める。ヨーロッパのエキュメニカル運動「Together for Europe」のメンバー。
  • ヨハネス・フィヒテンバウアー(Johannes Fichtenbauer):カトリック教会ウィーン管区のカリスマ的カトリック信者(助祭長)。カリスマ的なエキュメニカル運動を推進する団体を設立。オーストリアの教会一致運動に尽力。
  • アビ・ミズラヒ(Avi Mizrachi):メシアニック宣教センターの「ダギット(Dugit)」創立者。メシアニック会衆「アドナイ・ロイ」の主任牧師。2009年よりメシアニック会衆の一致を目指す運動を指導。
  • 故ピーター・ホッケン(Peter Hocken。TJCII創立メンバーの1人):カトリックのカリスマ刷新運動の神学者、歴史家。カリスマ的カトリック司祭としてエキュメニカル運動を推進した。
さらに、TJCIIのパンフレットでは、ダン・ジャスターが次のように語り、TJCIIが当初からエキュメニカル運動としての側面を持っていることを明らかにしています。
(TJCII創立メンバーの)ピーター・ホッケンは、自分たちで公会議を招集することはできないが、教団教派に公会議の開催を呼びかけることはできると早くから指摘していました。その実現のためには、この取り組みを(「Jerusalem Council II(第二エルサレム会議)」ではなく)「Toward Jerusalem Council II(第二エルサレム会議に向けて)」と呼ぶ方が都合がよかったのです。TJCIIは、諸教会や、さまざまな教団教派の評議会が一堂に会する究極的なエキュメニカル(世界教会一致)公会議とすることを目指していました。6

【原文を読む】

Early on, Peter Hocken brought up the point that we cannot ourselves convene a Council but we could call for Church governing bodies to do so. It would be easier to affect this if we called our effort Toward Jerusalem Council II, envisioning an ultimate ecumenical council of the churches or councils in the various governing bodies of the churches.

そして実際に、ジャスターは教団教派の本部にTJCIIを公式に受け入れるように働きかけており、教団教派が正式に関わる運動にしようとしていることがわかります。
10年かけて、私とジョン(ジョン・ドーソン)が思い描いていた最初の国際カンファレンスを2006年の秋にようやく開くことができました。35か国から参加があり、すべての主要な教会の流れから出席者が来ていました。私たちは現在、教会の公式な推薦をもらえるように働きかけています。7

【原文を読む】

After 10 years, we finally had our first international conference in the fall of 2006 as John and I originally envisioned. Over 35 nations were present, and every major Church stream was represented. We are now working on official church endorsements.

以上で見たTJCIIのエキュメニカル運動としての側面が、次の点を考える上でも重要になってきます。

2. ダン・ジャスターによるローマ・カトリック教会の統治をモデルとした教会一致論

TJCIIの設立の経緯8や、記事の冒頭で紹介した引用などを見ると、TJCIIはダン・ジャスターが中心的な役割を果たして設立されたことがわかります。そのため、TJCIIについて理解するには、ジャスターのビジョンや神学を理解しておく必要があります。 ジャスターの神学の中で、TJCIIに関して特に重要になるのが教会論です。TJCIIのエキュメニカル運動によって、ジャスターが理想とする教会をどのように実現しようとしているかを知ることができるためです。少し長くなりますが、主にジャスターの著書『Apostolic Authority & Authority』(Tikkun International)から引用しながら説明していきます。
使徒による教会統治
ジャスターは、教会の統治(government)について、つまり教会をどのように治め、運営するかという点について、著書『Apostolic Authority & Authority』で次のように主張しています。
共観福音書の結論は、十二使徒が(イェシュアの生涯と復活を目撃した)直接の証人として、新約の共同体を統治する権威として選ばれたということだった。そのように、十二使徒はイェシュアに次いで土台となる教師である。十二使徒に並ぶ権威を持つ者は誰もいないが、それでも、十二使徒がミニストリーと教会統治に関して確立した型(パターン)は、後に続く権威とミニストリーにとって従うべき模範である。十二使徒が去った後は、町々をまとめ上げ、また町々を結びつける統一された権威というものはなくなって、(教会は)すべて分裂したままでよいと信じるべきなのだろうか。9

【原文を読む】

The conclusion of the Synoptic Gospels is that the Twelve are chosen as the original witnesses and governing authorities in the New Covenant community. As such they are the foundational teachers after Yeshua. Though no one equal their authority, nevertheless the patterns they established for ministry and government are examples for the authority and ministry to follow. Are we to believe that after their departure there is to be no unifying authority from city to city, or even joining cities, but that all is to be fragmented?

つまり、使徒の時代は使徒が教会をまとめて一致を保っていたが、今の教会は分裂してしまっている。これをそのままにしてよいのか。初代教会のように、今の時代も使徒のような権威を持って教会を統治する人が必要ではないのか、という議論です。同じ著書で、ジャスターは次のようにも語っています。
初代教会の使徒に特別な権威が与えられたと聖書箇所で明記されていない限り、(使徒の)権威と統治は、どの時代の神の民にとっても従うべき型(パターン)であるはずだ。10

【原文を読む】

Unless a passage explicitly gives a special authority to the original circle of apostles, we assume the pattern of authority and government is a pattern for the people of God for all times.

つまり、聖書で特に明記されていない限り、「使徒の働き」などに見られる使徒(あるいは使徒としての権威を持った指導者)を中心とした教会のあり方が、どの時代にも追求すべき手本であるという主張です。実際に、ジャスターはこの確信に立って、ICAL(International Coalition of Apostolic Leaders)という世界最大の「使徒」のコミュニティに参加し、使徒運動を推進しています。この「使徒による教会統治モデル」を基本として、ジャスターは次のように議論を展開します。
「町の教会」の統治モデル
まずジャスターは、教団教派に分かれて教会が林立している現在の状況は、新約時代の教会の姿とはかけ離れていると問題提起をします。そして、その解決策として、使徒の権威を認めて教会を統治することを提案します[^2-2a]。
使徒的統治の基本モデルは、チームまたは評議会が各会衆(congregation)に長老を立て、複数の会衆を監督する体制である。この「会衆」は、クリスチャンの世界では一般に地域教会と呼ばれている。しかし、そのような会衆を新約聖書が言うところの地域教会と呼ぶにはかなり無理がある。新約聖書では、規模が大きくても小さくても、どれだけの数の家の集会や大きな集会が開かれていても、各地方には1つの教会しか存在しないからである。現在地域教会と呼ばれているものは、教会統治という点では、新約聖書の時代には存在しなかった。…そうなると、神が地域の会衆をすべて集めて一つにしてくださるという、カリスマ派が抱いている希望について(それを一部の人々は「町の教会(Church of the City)」と呼ぶ)、いくつか疑問が湧いてくる。そのような一致が実現すれば、教会はどのように統治され、どのような権威が治めることになるのだろうか。…いかに簡素でゆるやかな組織しか持たない交わりでも、権威というものが存在するという事実に注目することが大切である。…その場合、ある種のチームに対して、もっと言えば町の使徒チームに対して、一定の権威を認める必要があるのではないだろうか。11

【原文を読む】

The basic model of apostolic government is of a team or board overseeing multiple congregations with a local eldership. In addition, a congregation is called a local church in Christian circles. The idea that such congregations are what the New Testament means by a local church is quite a stretch, for in the New Testament there was only one congregation of each locale, no matter how large or small, and no matter how many house meetings or larger meetings were held. What people today call the local church did not exist in the New Testament with regard to government… This raises new questions concerning the hope in charismatic circles that God will unite congregations in a locale which some are calling the Church of the City. If such a uniting occurs, what will be its government, and what will be the authority over it?… it should be noted that even a fellowship of the loosest character has government. Should there be recognition of some authority in some kind of team, even an apostolic team in the city?

また、個々の教会のあり方について、次のようにも語ります。
新約聖書のみことばによると、地域会衆は独立した存在であるべきではない。12

【原文を読む】

According to New Covenant Scriptures, local congregations are not to be independent.

つまり、個々の教会(会衆)は、統一された「町の教会」に必ず属する必要があるということです。 このジャスターの教会論をまとめると、次のようになります。
  • 教団教派に分かれている教会の現状は聖書的ではない。
  • 教団教派の壁を乗り越え、町にある教会を1つにまとめる必要がある。これを「町の教会」と呼ぶ。
  • 「町の教会」から独立した教会は存在すべきではない。
  • そうして1つになった教会を統治するのが、その町の使徒を中心にしたチームである。
ジャスターの教会論の根底には、使徒の時代のように、すべての会衆が一致して、全体で一つの教会を形成すべきであるという考え方があります。それを一つの町を例にとって提示したのが「町の教会(Church of the City)」という考え方です。
「使徒継承」による教会統治
そのような統一された教会を実現し、統治する方法としてジャスターが提案するのが、ローマ・カトリック時代の司教制度をモデルにした、1人の司教が1つの町全体を監督する教会統治の体制です。そして、そのような司教が教会を統治する根拠となるのが、ローマ・カトリック教会などが採用する「使徒継承」と呼ばれる教えです。ジャスターはこの2つを次のように説明しています。
しかし、ここで多くの福音派信者にとってなじみのない教会統治の一形態について考察し、そこから上がってくる問いをいくつか投げかけてみたい。それは、使徒の流れを継承すると言われている司教(bishop)13による統治体制である。ここで言っているのは、監督(bishop)を置き、部分的に監督制を採用しているメソジスト派やルター派のことではない。私が言っているのは、使徒の権威が司教と呼ばれる後継者に代々受け継がれてきたと考えている諸教派のことである。このように信じている教派には、ローマ・カトリック教会、東方正教会、聖公会、モラビア派がある。こうした教派の指導者は、初代の使徒が特別であることを認めているが、使徒は後継者に按手を行って権威を継承し、それが今日に至るまで受け継がれていると論じてきた。これが使徒継承の教理である。14

【原文を読む】

However, I desire that we would ask some questions arising from reflecting on a form of government that many Evangelicals find foreign – the government of bishops who are claimed to be in succession to the apostles. I am not here speaking of Methodists ad Lutherans who have bishops and a partially episcopal government. I am rather speaking of those denominations that understand apostolic authority to have passed down to successors who were called bishops. Those denominations that believe this are the Roman Catholic, Eastern Orthodox, Protestant Anglican-Episcopalian, and Moravian. While recognizing that the original apostles were unique, the leaders of those denominations have argued that the apostles laid their hands on successors and so on until this day. This is the doctrine of apostolic succession.

このように説明した後、ジャスターは次のように語り、使徒継承の正当性を認めます。
途切れることなく行われている[使徒]継承によって、[教会指導者の]正統性が保たれていることをはっきりと見てとることができる。使徒継承を行う教会は、十分な論拠を持っていると考える。15

【原文を読む】

However, legitimacy is still clearly seen according to an unbroken succession. I think that the succession churches have a strong argument.

以上のジャスターの見解をまとめると、次のようになります。
  • 現在のような教団教派に分かれた教会を1つにまとめる必要がある。
  • そのためには、教会をまとめる権威が必要である。
  • ローマ・カトリック教会などの歴史的教会は、初代教会の使徒の権威を代々継承している司教に、教会を統治する権威があるとする。それを「使徒継承」と呼ぶ。
  • 使徒継承は十分に根拠のある教会統治の方法である。
このように「町の教会」と「使徒継承」の概念を説明した後、ジャスターはそれを現代の使徒運動に当てはめて、驚くべき提案をします。この点を次に見ていきましょう。

MEMO

ダン・ジャスターは使徒継承を有効な方法としていますが、使徒継承は聖書的な根拠がない教理です。カトリック教会も、使徒継承の根拠を聖書ではなく、イグナティオスやエイレナイオスといった教会教父の教えに求めています。ただし、その主張も根拠のあるものではなく、イグナティオスやエイレナイオスの著作を読むと、使徒から継承するのは「使徒の権威」ではなく、「使徒の教え」であると教えていることがわかります。この使徒継承については、関連Q&A記事「『使徒継承』とは何ですか?使徒継承の教えは聖書的ですか?」を参照してください。

カリスマ派と歴史的教会の融合
ジャスターは、ここまで説明してきた教会論を現代の使徒運動に当てはめる前に、新使徒的宗教改革(NAR)の流れを汲むカリスマ派が「使徒」を任命する方法を次のように説明します。
一般的に、使徒と預言者を信じるカリスマ派信者は、司教と使徒の関係性を立ち止まって考えることすらしない。…それよりも、使徒は超自然的な預言、しるしと不思議、実りのある宣教、人々による認証、その他の条件の組み合わせによって神から選ばれると思われている。…たとえば、ピーター・ワグナーの著作には、使徒の権威についてカリスマ派が持つ考え方が反映されており、使徒は聖霊によって選ばれ、その人に付き従う人々が聖霊によって見分けるものとしている。16

【原文を読む】

Generally, charismatics who believe in apostles and prophets do not even give much pause to consider the relationship of bishops to apostles… Rather, apostles are seen as chosen by God and confirmed by supernatural prophecy, signs and wonders, fruitful ministry and oversight, or some other combination of criteria… For example, Peter Wagner’s book reflects an apostolic authority that is charismatic in its derivation, chosen by the Spirit, and discerned in the Spirit by those who follow.

このようにカリスマ派の使徒運動の現状を説明した後、ジャスターは次のように語ります。
使徒または司教の任命について、使徒継承とカリスマ派の教理が統一されて1つになったらどうなるだろうか。そのような回復(レストレーション)が実現することは可能だろうか。カリスマ聖公会のような教団が、そのような理解を持って実践に移し始めたらどうなるだろうか。アジアやアフリカの聖書に忠実な聖公会がそのように理解し、カリスマ的な真理を実践に移し始めたらどうなるだろうか。カリスマ派の使徒がそのような教団から按手を受けて使徒継承に連なればどうなるだろうか。「町の教会(Church of the City)」で両方のグループが一致協力し、町の長老会を形成したらどうなるだろうか。その後、そのように地歩を固めてから、ほかの人々に参加を呼びかけたらどうなるだろうか。そのようなことはリバイバルの中でしか起こりようがないが、その可能性はヨハネ17章に見ることができる。そうなると、使徒継承に立つ人々とカリスマ派の人々が、互いにへりくだって相手の真理と視点を受け入れることになる。17

【原文を読む】

What if succession and charismatic doctrine for the choice of apostles or bishops became unified? Is it possible that we could see such a restoration? What if a group like the Charismatic Episcopal Church began to so understand and practice? Or what if Anglican churches which are Scripturally true in Asia and Africa began to so understand and practice charismatic truth. What if charismatic apostles began to receive the laying on of hands from such a body so as to be in succession? What if the Church of the City merged both groups into a united presbytery of the city? Then from that vantage what if others were invited to join? This could only happen in revival, but one can see the potential from John 17. It would mean that successionists and charismatics would humble themselves to each other and receive the truth and perspective of the other.

以上をまとめると、ジャスターはみずからの教会論で次のような提案をしていることになります。
  • カリスマ派教会と歴史的教会(主にカトリック、正教会、聖公会)が、お互いの使徒(司教)の任命方法を学び合い、受け入れる。
  • それによって、カリスマ派教会が歴史的教会につながり、一つとなる。
  • 一つになった教会が「町の教会」となり、町にあるすべての教会を統治する。
このように、ジャスターの教会論は、カリスマ派(NAR)と歴史的教会という、一見まったく違う教会の一致を呼びかけ、一つの教会を作り上げることを目指しています。それを実現する方法の一つが、ローマ・カトリック教会の教会統治モデル(使徒継承)を取り入れたエキュメニカル運動です。

3. プロテスタント教会を除外した教会一致

ここまでジャスターの教会論を見てきて気付くことは、ジャスターの教会統治モデルには、伝統的・保守的プロテスタント教会(ルター派、メソジスト派、長老派、改革派、バプテスト派、保守的福音派、古典的ペンテコステ派など)は考慮されていないということです。 ジャスターは、NARの流れに属するカリスマ派と、使徒継承を行う歴史的教会(カトリック、正教会、聖公会など)が合同して、1つの「町の教会」になることを提唱しています。また、ジャスターは、「町の教会」の説明で見たように、独立した地域教会の存在を認めていません。そうなると、「町の教会」に属さないプロテスタント教会はどうなるのでしょうか。ジャスターは次のように語ります。
そうなると、認められた権威から任命を受けることなく、自分で看板を立てて自分のことを牧師やラビと呼ぶ権利があると考える人々はいなくなる。18

【原文を読む】

It would also mean the end of people thinking they have a right to set up a shingle and call themselves pastor or rabbi without serious confirmation by recognized authority.

つまり、カリスマ派(NAR)と歴史的教会のエキュメニカル教会に属さない道を選ぶ教会の指導者は、正当な教会指導者とはみなされず、そのような指導者が牧する教会も教会とはみなされないということになります。 実は、これはローマ・カトリック教会のプロテスタント教会に対する姿勢とよく似ています。ローマ・カトリック教会は、使徒継承を行う正教会などの諸教会とは信者同士の交わりを公認していますが、そうでないプロテスタント教会とは「教派間の交わりは今のところ不可能」19としています。

MEMO

詳しくは、関連Q&A記事「『使徒継承』とは何ですか?使徒継承の教えは聖書的ですか?」を参照してください。

ジャスターは、先ほどの引用文で「そのように地歩を固めてからほかの人々に参加を呼びかけたらどうなるだろうか」と語り、ほかの教会にも参加を呼びかける意思を示していますが、「聖書のみ」の原則に従う教会が、救いの教理やマリア信仰などで教理的に大きく違う教会と一つになることは考えられません。そのような状況で、ジャスターの提唱する教会統治が世界的に確立されたらどうなるでしょうか。ローマ・カトリック教会は世界最大の信者数を誇るキリスト教会で、正教会、聖公会を合わせるとキリスト教会の大多数を占めます。また、NARの流れに属する教会は教勢を増しており、「今までの成長率が続いた場合、NAR関係の教会のメンバー数はプロテスタント教会のメンバー数を超えるだろう」と語る研究者もいます20。そうなると、プロテスタント教会の置かれた状況は、宗教改革以前の時代に逆戻りしてしまう可能性があります。 ジャスターの教会論を見たところで、今度はTJCIIに目を向けてみましょう。そこでTJCIIの委員会のメンバー構成を見てみると、ジャスターの構想とTJCIIの構成がぴったりと一致していることがわかります。TJCIIの委員には、伝統的・保守的プロテスタント教会を代表する人物は一人もいません。各メンバーが代表する組織は、大きく分けて以下のような内訳になっています。
  1. メシアニック会衆:6人
  2. カリスマ・ペンテコステ派教会(NAR中心):4人
  3. 歴史的教会(カトリック、正教会、聖公会):3人
カリスマ・ペンテコステ派に属する委員は、ダン・ジャスターと関係の深いウェイン・ウィルクス・Jr(Wayne Wilks Jr.。ジャスターが設立したMessianic Jewish Bible Instituteの元校長)や、『Rediscovering the Roles of Apostles and Prophets(使徒と預言者の再発見)』という著書がある ダグ・ビーチャム(Doug Beacham。インターナショナル・ペンテコステ・ホーリネス教団総監督) など、新使徒宗教改革(NAR)の流れに属している人々やNARを受け入れている人々とみなすことができます。 以上で見てきたように、ジャスターが構想する教会統治モデルでは、宗教改革の原則(「聖書のみ」「万人祭司」)に立つプロテスタント教会は教会とはみなされなくなる可能性があります。

4. ユダヤ人の「使徒」が世界の教会を導く

TJCIIでは、ユダヤ人の「長兄」「親」としての立場が強調され、世界の教会の中でユダヤ人が指導的な役割を果たす必要があると言われています。たとえば、TJCII創立メンバーのピーター・ホッケンは「教会は、自分たちのがユダヤ民族であることを尊び、しかるべき敬意を払うことによってのみ、一致に至ることができる」と語っています21。また、TJCIIのパンフレットでは、ユダヤ人信者は「長兄」と呼ばれています。 私は、聖書を守り、伝えてくれたユダヤ人に敬意を抱いています。また、ユダヤ人神学者のアーノルド・フルクテンバウム博士から学び、大いに祝福された人間として、ユダヤ人が教会の中で果たす役割は大きいと思っています。ただ、そのようなユダヤ人の立場を利用して、世界の教会に対して影響力を行使しようとする人々がいれば、私たちたちはどうすればよいのでしょうか。 先ほど、ジャスターはローマ・カトリック教会の「使徒継承」を軸にエキュメニカル運動を推進しようとしていることを見ました。しかし、ジャスターはカトリック教会を中心にした教会一致を実現しようとしているわけではありません。ジャスターは次のように語ります。
歴史的教会(カトリック、正教会、聖公会)とつながりができてわかってきたことは、彼らも同じことで悪戦苦闘しているということです。そうした教会の中には、私たちが正しいモデルを確立するまでは自分たちも正しいモデルを確立できないとすら思っている人たちがいます。世界中の教会を訪問して行く先々で言われることは、「あなた方がイスラエルで正しいモデルを確立するのを私たちは待ち望んでいる」という声です。どこへ行っても「あなた方がイスラエルで正しいモデルを確立するのを私たちは待ち望んでいる」と言われるのです。重要なポイントは、ローマ(訳注:カトリックの総本山であるローマ教皇庁)を中心にしたモデルにするわけにはいかないという点です。何らかの形で、世界はイスラエルと、そしてエルサレムと結びつき、一致する必要があるのです。22

【原文を読む】

So what I found in connecting to the historical churches [Catholics, Orthodox, Anglicans], they are wrestling with these same things. But some of them even perceive that they can’t get it right themselves until we get it right. As I travel the church of the world, I go everywhere and people are saying to me “We are waiting for you guys to get it right in Israel.” Everywhere I go people are saying: “we are waiting for you guys to get it right in Israel”. Because the key is that it cannot be centered in Rome [note: the seat of the Pope, the supreme authority of the Catholic Church]. Somehow the world needs to connect in unity with Israel and then with Jerusalem.

つまり、ジャスターをはじめとするメシアニックジューの指導者が、教会の統治モデルを確立し、それを広めていくように世界中の教会から期待されているのだという主張です。さらに、ジャスターの主張によると、世界のすべての教会がイスラエル、エルサレムと「結びつき、一致する必要がある」ので、イスラエルの「使徒」であるジャスターたちに、世界中の教会が結びつくことになります。そうなると、世界の教会はイスラエルの「使徒」を中心に回るようになります。 TJCIIのパンフレットでは、次のように言われています。
(TJCIIの創立メンバー)マーティ・ウォルドマンの幻では、第二エルサレム会議はユダヤ人と異邦人の両方が参加する集会となり、メシアなるイエス(イェシュア・ハマシア)のからだが一つとなり、お互いを完全に受け入れる。そのような集会で、異邦人指導者は、イエスを信じるユダヤ人信者が、ユダヤ人社会の一員であり続けながら、個人としても民族としても教会の不可欠な一部であることを認める。そして、ユダヤ人信者を、第一の地位が与えられた長兄を代表する人々として承認するのである(ローマ1:16)。[^4-2]

【原文を読む】

In Marty Waldman’s vision, the second Council will be a gathering of both Jews and Gentiles, fully accepting one another within the one Body of Jesus the Messiah (Yeshua haMashiach). In such a gathering, the Gentile leaders would recognize the Jewish believers in Jesus, personally and corporately, as an integral part of the church while remaining as contiguous members of the Jewish Community and indeed as those representing the elder brother who had been given the first place (Rom. 1:16).

ここで言われているように、世界の教会が一堂に会する第二エルサレム会議で、ユダヤ人信者に第一の地位が与えられるのであれば、ユダヤ人信者は、教会の中で指導的な立場に立つことになります。それはとりもなおさず、ジャスターらユダヤ人の「使徒」が世界の教会の指導的立場に立つことを意味しています。 以上のように、ダン・ジャスターらは、ユダヤ人の「使徒」が世界の教会を指導する体制を築くことを目指して活動しており、TJCIIもその一環として位置付けることができます。次は、TJCIIの最後のポイントについて説明します。

5. 使徒による「エルサレム評議会」樹立の第一歩としてのTJCII

インターネット上に、ダン・ジャスターの宣教団体「ティックーン」の指導者が一堂に会し、使徒15章について教え、論じている「Acts 15 Revisited」(使徒15章再訪)という動画が公開されています。使徒15章は、異邦人とモーセの律法の関係についての論争を解決するために「エルサレム会議」が開催される箇所です。TJCIIは、このエルサレム会議の第二回目を開催するための運動という位置付けになっていますので、ジャスターをはじめとするティックーンの指導者がこの箇所をどのように解釈しているかは、TJCIIの方向性を理解する上で重要なポイントになります。 この動画の中で、異邦人の地から教会指導者たちがエルサレム会議に上って来る場面を、ジャスターの盟友であり、ティックーン創立者の一人でもあるアシェル・イントレーターが次のように解説しています。
ここで気付くのは、エルサレムのメシアニックジューの使徒を中心にした権威の回復、いや確立が見られることです。…(使徒15:4には)「エルサレムに着くと、彼ら(訳注:異邦人の地から来た教会指導者)は教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行われたことを、みなに報告した」とあります。これは驚くべき箇所です。この人たちは、異邦人の地からエルサレムに上ってきたのです。ここで彼らが3種類の人々と話していることに注意してください。エルサレムの会衆、使徒、長老です。…そして、この4つ目のグループ、異邦人の地から来た指導者たちは最初に何をしましたか?(エルサレムの会衆、使徒、長老に)自分たちが行ってきたことを報告したのです。23

【原文を読む】

What we are noticing here is a restoration, or the founding of a central Messianic apostolic authority in Jerusalem… (Acts 15:4) When they came to Jerusalem, they were received by the congregation and the apostles and the elders. And they told them all the things God had done with them. This is an amazing passage. They’ve come out from the nations. They come up to Jerusalem. Notice now that they are talking with three people. The central congregation in Jerusalem, and the apostles and the elders… Then you have this 4th group of people coming up from the nations, leaders from the nations and what’s the first thing they do? They tell them. They report to them what they’ve done.

ここで、イントレーターは「エルサレムのメシアニックジューの使徒を中心にした権威」が確立された出来事としてエルサレム会議を位置付け、異邦人の地で働く教会指導者が、問題の解決を求めてエルサレムの使徒と長老の元に来て報告をしている重要性を指摘します。 次に、イントレーターは、そのようなエルサレム会議を現在に復活させることを主張し、次のように語ります。
ここにはいつでも相談できる誰かがいます。一体感、安心感、契約関係があります。論争を解決する場所があり、道徳的な問題について訴えることができる場所があり、統一された戦略を受け取ることができる場所があると知ることから来る安心感があります。そして、大きな神学的問題に対処する場所があります。24

【原文を読む】

There is always somebody else to talk to. There is a sense of unity of peace of relationship of covenant. Knowing there’s a place you can go to settle disputes. Knowing there’s a place you can appeal moral issues on. Knowing that there’s a place where you can receive a unified strategy. And there is a place you can deal with major theological issues.

この発言を見ると、エルサレム会議のことを異邦人がいつでもエルサレムに上ってきて、問題を解決する場所として説明していますので、このエルサレム会議は一時的な会議ではなく、常設の機関であることがわかります。日本語で言うと、「エルサレム会議」というよりも、「エルサレム評議会」と訳した方がよいかもしれません(どちらも英語では「Jerusalem Council」)。つまり、ダン・ジャスターをはじめとするティックーンの指導者は、TJCIIで第二エルサレム会議を開催した先に、常設の「エルサレム評議会」を設置し、そこで世界中の教会の問題を取り扱うようになることを目指しています。 また、イントレーターは次のようにも語っています。
これ(使徒15章のエルサレム会議)は、使徒的回復がピークに達し、信者のからだに正しい秩序がもたらされた瞬間で、それまでに一度も起こったことがないことでした。…しかし、神はこれをするように私たちを召しておられます。…私たちがこのことを行えば、とてつもなくすばらしいことが起こり、世界中の信者を祝福すると信じています。25

【原文を読む】

This [Jerusalem Council in Acts 15] is a peak moment of apostolic restoration of the right order in the body of believers and it’s never happened before… But I know God is calling us to do this… I believe if we will do this something tremendous positive will bless believers all over the world.

ここでイントレーターは、エルサレム評議会の設立は自分たちに対する「神の召し」であると言っています。つまり、これは「こうなったらいいね」というレベルのことではなく、ティックーンの公式なミッション(使命)であると述べているのです。そうなると、ジャスターがこのミッションの遂行のためにTJCIIを利用することは当然と考えることができます。ティックーンに対する神の召しであると信じていて、同じ「エルサレム会議」という名を冠するTJCIIをこのミッションのために利用しなければ、ジャスターはティックーンの他の指導者から非難されることでしょう。 以上のイントレーターの主張をまとめると、次のようになります。
  • 使徒15章のエルサレム会議は、教会における使徒の権威を確立した画期的な出来事である。
  • 現代にエルサレム会議を回復し、常設の機関とする必要がある。
  • この「エルサレム評議会」と呼ぶべき場所で、神学的な問題を含め、教会のあらゆる問題を解決する。
  • このエルサレム評議会は、エルサレムにいるメシアニックジューの使徒を中心に運営される。
イントレーターは動画の中で、エルサレム評議会は「いつでも相談できる」場所であると語っています。しかし、ユダヤ人の使徒と諸教会、信徒の関係はそのようなソフトなものではないことが、ティックーンの指導者の発言からうかがい知ることができます。ジャスターは次のように語っています。
この壮大なプロジェクト(TJCII)で、私たちは教会全体に対して悔い改めを呼びかけ、すべての教団教派が参加してイスラエルとメシアニックジューとのアライメントを行う(連携する)ように求めている26

【原文を読む】

In this great project [TJCII] we call for repentance and the alignment of the whole Church, in all its streams, with Israel and the Messianic Jews.

この「アライメント(alignment)」は、NAR教会の中でよく使われるある種の専門用語で、意味がつかみにくい、あいまいな言葉ですが、要するに使徒とつながる、連携するというような意味です。ただ、注意が必要なのは、この言葉の意味には一種の「服従関係」が含まれているという点です。アシェル・イントレーターは、この用語について次のように説明しています。
みなさんに特別な言葉についてお話ししたいと思います。それは「アライメント」です。これは重要な言葉です。ここでは特に、終末時代のイスラエルと教会の間のアライメントについて話します。その意味をここで少しだけお話ししましょう。アライメントは一種の秩序です。パズルのピースを正しい枠組みの中で組み合わせ、すべてが協力して働くようにするものです。そこには一種の服従関係が関わってきますが、それは単なる階層の上での服従ではありません。それは、すべてのピースを組み合わせる秩序なのです。27

【原文を読む】

I want to talk to you about a special word, and the word is “Alignment”. That’s a big word. Specifically I’m talking about alignment between Israel and the Church in the end times. Let me just unpack that for a minute. Alignment is a type of order. It’s putting pieces together in the right framework so that they can all work together. It involves a type of submission, but it’s not just a hierarchical submission. It’s an order in which you put all the pieces together.

このイントレーターの説明を背景に上述のジャスターの言葉を解釈すると、TJCIIは「教会全体に対して悔い改めを呼びかけ、すべての教団教派がイスラエルとメシアニックジューと一種の服従関係を結び、教会の秩序を形成するように求めている」ということになります。 使徒との「アライメント」には服従関係が伴っていることは、ジャスター自身の次の言葉によっても裏付けることができます。
しかし、使徒の回復を含め、キリストのからだの回復(レストレーション)を信じる者に、使徒の権威に従わないという選択肢はない。一方では使徒やレストレーションを信じると言い、他方ではその権威に従わないというのでは、使徒を矮小化してしまっている。28

【原文を読む】

However, it should not be an option for those who believe in the restoration of the Body, including the restoration of apostles, to not be submitted under apostolic authority. Indeed, to say one believes in apostles or restoration and to not submit under this authority is to trivialize the meaning of apostles.

以上をまとめると、次のように言うことができます。
  • ジャスターの団体「ティックーン」は、ユダヤ人の使徒と長老が世界の教会を統治するための機関として、使徒15章の「エルサレム会議」のような、現代の使徒によって運営される「エルサレム評議会」を設置することを神の召しとして受け取っている。
  • TJCIIが開催を求めている「第二エルサレム会議」は、この「エルサレム評議会」を樹立するためのスプリングボード(踏み台)となる可能性が高い。
  • TJCIIは、教会全体に対して、イスラエルとメシアニックジューとの一種の服従関係に入ることを呼びかけている。これはとりもなおさず「エルサレム評議会」の使徒と長老との服従関係に入ることを意味する。

結論

以上の考察によって、冒頭に述べたように、TJCIIについては次のような点を指摘することができます。
  1. TJCIIは単なる和解運動ではなく、エキュメニカル(教会一致)運動としての側面も併せ持っている。
  2. TJCII創立メンバーのダン・ジャスターは、ローマ・カトリック教会の教会統治モデル(使徒継承)を取り入れてエキュメニカル運動を推進しようとしている。
  3. ジャスターが構想する教会統治モデルでは、宗教改革の原則に立つプロテスタント教会は教会とはみなされなくなる。
  4. TJCIIでは、ユダヤ人の「長兄」「親」としての立場が強調され、世界の教会の中でユダヤ人が指導的な役割を果たす必要性が強調されている。また、ジャスターは、現代の「使徒」が教会の指導的立場に立つことを提唱している。この2つの主張を掛け合わせると、ユダヤ人の「使徒」が世界の教会を指導する必要が合うという主張が展開されていることになる。
  5. ジャスターの団体「ティックーン」は、ユダヤ人の使徒と長老が世界の教会を統治するための機関として、使徒15章の「エルサレム会議」のような、現代の使徒によって運営される「エルサレム評議会」を設置することを主張している。TJCIIが開催を求めている「第二エルサレム会議」は、ティックーンが主張する「エルサレム評議会」を樹立するためのスプリングボード(踏み台)となる可能性が高い。
TJCIIを聖書的に評価するには、以上の点を踏まえる必要があります。その上で評価するなら、TJCIIを聖書的な運動と呼ぶことは難しいと言えます。TJCIIの発起人であるジャスターは、「使徒継承」という宗教改革に反する教理を軸にしてエキュメニカル運動を推進しようとしており、ジャスターの団体「ティックーン」は、「エルサレム評議会」を設立し、ユダヤ人の使徒を中心に教会を再編することを使命として活動しています。このどちらも聖書的な根拠はなく、聖書を忠実に解釈した結果ではなく、教会の権威や個人的な啓示を根拠とした教えです。そのような背景を踏まえてTJCIIを眺めるなら、この運動を聖書的と呼ぶことにはかなりの危険性が伴います。 それでは、個人的な野心は別として、なぜジャスターたちはそこまでして教会の一致を追求し、ユダヤ人の使徒を中心にした世界の教会統治にこだわるのでしょうか。 その理由の一つは、ジャスターやTCJIIが持つ終末論にあると思われます。TJCIIのパンフレットは次のように語っています。
(異邦人)教会は、みずからの歴史的罪に向き合って悔い改め、この(メシアニックジュー)コミュニティとの和解を求める必要があった。それが、一致と、(魂の)収穫、再臨につながるのである。29

【原文を読む】

The Church needed to repent and deal with its historic sins and find reconciliation with this community. This would lead to unity, harvest, and the second coming.

つまり、TJCIIが推進する異邦人信者とユダヤ人信者の和解によって、教会が一致し、リバイバルが起こり、さらにはキリストの再臨が実現するという終末観です。ジャスターおよびTJCIIは、この終末観に突き動かされていると言えます。 また、TJCIIパンフレットでは次のようなことも言われています。
メシアのからだの一致を実現し、ユダヤ民族が本来あるべき場所に回復することの究極的な目的は、主イェシュアが栄光のうちに再臨され、神の国における贖いのわざがすべて完成する時期を早めることである。30

【原文を読む】

The ultimate purpose in unifying the Body and restoring the Jewish believers to their rightful place is the hastening of the coming of the Lord Yeshua in glory and the full accomplishment of His work of redemption in the Kingdom of God.

ここから、ユダヤ人信者が教会の第一の地位を占める必要があるのも、そうすることでキリストの再臨を早めるという終末論が関係していることがわかります。 以上のような終末論を実現するために、ユダヤ人の使徒が教会の頂点に立って統治する必要があるという論理で動いているのだと推察できます。 しかし、ジャスターやTJCIIが語るような終末論に、聖書的な根拠はありません。聖書では、終末時代には多くの教会が背教に陥ることが預言されています(2テサロニケ2:3)。そのような状況で、聖書的な原則を無視して、がむしゃらに教会の一致を推し進めようとすることは危険なことです。教会の一致は、みことばへの一致を軸にしたものでなくてはなりません。ところが、ジャスターらは「使徒継承」や「エルサレム評議会」など、聖書に根拠のない教えを軸に教会を一致させようとしているのです。

MEMO

2020年2月3日に、イスラエルのメシアニックジューが発行する雑誌『Israel Today』に、「Messianic Jews Head Toward Breakup(分裂に向かうメシアニックジュー)」という記事が掲載されました。この記事は、ティックーンが提唱する神学をめぐってイスラエルのメシアニックジューが分裂の危機にあることを報じています。一致を求めるティックーンの神学が分裂をもたらす原因となるのは皮肉なことですが、聖書の真理に基づかずに教会の真の一致を実現することは不可能です。

TJCIIがユダヤ人信者と異邦人信者の和解と一致を求めることはすばらしいことですが、その結果としてリバイバルが起き、キリストが再臨するという終末論は聖書のどこにも書かれていません。 聖書に書かれている終末論では、終末時代には人々が真理から離れ、そうした人々に対して裁きが下ると言われています(2テサロニケ2:10~12)。
10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。 11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。 12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。
私たちクリスチャンは、人工的な一致を実現しようとするあまりに、みことばの真理をないがしろにすることがあってはなりません。終末時代に生きるクリスチャンは、どの時代にもまして、次のみことばに忠実に歩む必要があると信じます。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。(2テモテ4:2)

MEMO

教会一致がキリストの再臨をもたらすという終末論の問題点については、関連Q&A「キリストが再臨する条件は、教会が一致し、完成することだというのは本当ですか?」を参照してください。

記事を書いた人:佐野剛史(Harvest Watchリサーチャー)

付録:ユダヤ人と異邦人の断絶

TJCIIのパンフレットには、TJCIIの目的の一つとして次のように書かれています。
ユダヤ人信者と異邦人信者の間には、初期の教会によって生み出された断絶があることを認める。その断絶は、特に第二ニケア公会議31で最高潮に達した。32

【原文を読む】

Recognize the schism between Jewish and Gentile brethren created by the early Church, especially culminating in the decrees of the Nicene Council II.

初期の教会によって生み出された、ユダヤ人信者と異邦人(ユダヤ人以外の諸国民)信者の間にある断絶とはどのようなものでしょうか。本論の背景知識として短く説明します。 教会時代の初期には、イエス(ヘブル語でイェシュア)を信じるユダヤ人信者は、一定のユダヤ的習慣を守りながら信仰生活を送っていました。しかし、教会の多数派を異邦人が占めるようになり、紀元313年のミラノ勅令でキリスト教がローマ帝国の公認宗教となって異邦人の影響が強くなるにつれ、ユダヤ的なものを教会から排除する動きが出てきました。そして、ユダヤ人の司教を排除して紀元324年と325年に開催された第一ニケア公会議では、日曜日ではなく土曜日に礼拝する、8日目の割礼を行う、イースターではなく過越しの祭りを祝うといったユダヤ的習慣を実践する者は破門とすることが決定されました[^A2]。 この決定のため、イェシュアを信じるユダヤ人は、キリスト教社会ではユダヤ人として、ユダヤ的習慣を守って生きることができなくなりました。また、ユダヤ社会では裏切り者として扱われるため、ユダヤ人として生きることもできず、キリスト教社会でユダヤ人としてのアイデンティティを捨てて生きるしか道は残されていませんでした。この決定が、教会内でユダヤ人と異邦人の断絶を生むことになりました。

MEMO

教会がユダヤ的なものを排除した結果、旧約のイスラエルは見捨てられ、教会が霊的なイスラエルとなったという置換神学も教会に深く浸透しました。今でも、多くの教会は置換神学をごく当たり前のように受け入れています。置換神学については、聖書入門.comの記事「置換神学」を参照してください。

関連記事

参考資料

  • Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II, 2010)

  1. この引用の著者、ダン・ジャスターが学んだ米国ウィートン大学の創始者。 
  2. Dan Juster, “The Story of the Justers, Covenant Friends, and Tikkun International” (Tikkun International, 2013), p.51 
  3. Dan Juster, “Israel and the Nations: The Key to Understanding the Bible” (Tikkun International) 
  4. Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II, 2010), p.18 
  5. Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II), p.37 
  6. Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II, 2010), p.15 
  7. Dan Juster, “The Story of the Justers, Covenant Friends, and Tikkun International” (Tikkun International, 2013), p.55 
  8. “Section One: How TJCII Began: Key Memories”, Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II), p.9-22 
  9. Dan Juster, Apostolic Authority & Authority (Tikkun International, 2017), p.9 
  10. ここで論じるジャスターの教会論では、教会の「統治」という聞き慣れない言葉が登場しますが、これは「government」「govern」の訳語です。 
  11. Dan Juster, Apostolic Authority & Authority (Tikkun International, 2017), p.51 
  12. Dan Juster, “Apostolic Order” (Revive Israel) 
  13. 訳注:「bishop」はギリシャ語で「エピスコポス」で、新改訳聖書では「監督」と訳されている。各教派で採用している日本語訳が異なり、カトリックでは「司教」、正教会や聖公会では「主教」、プロテスタント系教会では「監督」と呼ばれている。ここでは主に「司教」と訳す。 
  14. Dan Juster, Apostolic Authority & Authority (Tikkun International, 2017), p.52 
  15. 同書 p.54 
  16. 同書 p.55 
  17. 同書 p.58 
  18. Dan Juster, Apostolic Authority & Authority, Tikkun International, 2017, p.58 
  19. International Theological Commission, “Catholic Teaching on Apostolic Succession” (1973)  
  20. ウィリアム・ウッド『日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2018年)P.24-25  
  21. Dan Juster, “The Story of the Justers, Covenant Friends, and Tikkun International” (Tikkun International, 2013), p.54 
  22. Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II), p.7 
  23. Asher Intrater, Acts 15 Revisited(4:23~6:55) 
  24. 同動画(27:56~28:18) 
  25. 同動画(38:27~38:57) 
  26. Dan Juster, “Israel and the Nations: The Key to Understanding the Bible” (Tikkun International) 
  27. 動画「End Time Alignment(終わりの時代のアライメント)」中のアシェル・イントレーターの発言 
  28. Dan Juster, Apostolic Authority & Authority (Tikkun International, 2017), p.61 
  29. Toward Jerusalem Council II ― Vision, Origin and Documents (Toward Jerusalem Council II, 2010), p.13 
  30. 同パンフレット p.38 
  31. 付録の説明に記しているように、ユダヤ人を排斥した公会議としては第一ニケアが有名なので、「第二ニケア」は「第一ニケア」の間違いではないかと思いますが、原文通りに訳しています。 
  32. エレズ・ソレフ「イスラエルのメシアニック・ジュー運動 ― 過去・現在・未来 ―」『第3回再臨待望聖会』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2012)、P.21